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◆保美濃山西部(仮称)



※ 明色部(暗色部は埼玉県神泉村【現・神川町】)
※ この地図は、大日本帝国陸地測量部発行の1/50,000地形図「寄居」(昭和15.8)を使用したものである

在:藤岡市保美濃山(ほみのやま)
地形図:鬼石/寄居
形態:川沿いから山中にかけて家屋が集まる
標高:(水面は約290m)
訪問:2020年11月

 

 大字保美濃山の南西部、神流(かんな)川左岸側にある。現在は下久保ダムの人造湖(神流湖)に多くが水没。
 ここでは資料『下久保ダム水没地区の民俗』において「第四区」と呼ばれる集落群について触れる。なお「第○区」という呼称は、下久保ダムの建造に関わる地区を便宜上大まかに分けたものと思われる。
 同書によると、川沿いの田黒、中腹の前野、高所の犬目の各集落から形成。「大字保美濃山略図」として各集落の大まかな位置が記されているが、田黒の位置が旧版地形図のそれよりも北側(上の地図画像で「矢納」の対岸)に記されている。資料が示す位置では、昭和35年の航空写真にまとまった家屋群は確認できない。
 このうち完全な水没は田黒、一部水没かつ全戸移転は前野。犬目は水没の影響なし。
 以下は戸口と姓氏。( )内は移転予定としている戸数。★は全戸移転。姓氏は掲載順、戸数が合わないがそのまま掲載(当サイトの趣旨上、全戸移転のみ掲載)。

★田黒…16戸75人(16) 金沢13・桜井1・新井1・横田1・家田1・井上1(計18)
★前野…9戸53人(9) 金沢4・茂木1・桜井1・須田1・新井1(計8)
・犬目…19戸101人(0)

 なお坂原(さかはら)との境界付近に見られる学校は、美原(みはら)小学校および中学校。小学校は明治8年創立。大正15年、県道沿いで坂原との境界に近い場所(水没直前までの位置)に移転新築。中学校は昭和22年創立。運動場を小学校と共用していた。

 


写真 集落方面を望む。正面右の家屋群は犬目(神泉村【現・神川町】曲渕付近にて撮影)

 

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