◆野々沢(ののさわ)

※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「小林」(昭和22.6)を使用したものである
所在:只見町梁取(やなとり)
地形図:会津小林/小林
形態:川沿いに家屋が集まる
離村の背景:災害
標高:約520m
訪問:2023年6月
大字梁取の北西部、野々沢(伊南(いな)川支流)沿いにある。
資料『金山町 只見町集落移転調査報告書』によると、昭和44年8月の集中豪雨により移転したとのこと。被災当時5戸21人。流失1戸、半壊1戸、床下浸水3戸。農地被害0.26ha。主な生業は農業で、うち1戸は石工業との兼業であった。1戸は町内小林に移転済みだが、他の4戸は未定となっているとある(刊行は昭和44年)。
資料『南会津・只見町過疎部落の民俗』の絵地図によると、左岸(願田沢合流部)に星家1戸、右岸に渡部家3戸・星家1戸。右岸の家屋群の上手に、雷電神社と熊野神社が祀られている。また墓地の上流に古い屋敷跡(尼屋敷)がある。
なお本文中では「稲荷」の小祠と富士権現を祀った富士神社について言及している。『新編会津風土記』には梁取村の端郷として「布沢」とあり、当時2戸。いつしか「野々沢」と改められたという。
町史によると、鎮守は富士神社とのこと。
現地では、左岸側の屋敷跡に簡素な家屋が1軒。右岸の家屋群の跡は開け、僅かな遺構が見られる。上手には小祠が2基見られたが、これらは先述の雷伝神社・熊野神社と思われる。また少し上流には墓地があり、まとまった数の墓石が見られ、星氏の名が見られる。
なお最近の地形図では水田の記号が見られるが、下流の一部を除き耕作は行われていない。
読みは資料や橋梁(野々沢橋)の銘板に拠った。
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