戻る 前へ 次へ 市町村選択ページへ 都道府県選択ページへ トップページへ

 

◆屶振(なたぶり)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「關」(昭和22.2)を使用したものである

所在:福島市飯坂町茂庭(いいざかまちもにわ)
地形図:稲子/関
形態:川沿いに家屋が集まる
離村の背景:ダム建設
標高:約230m
訪問:2023年5月

 

 大字茂庭の中部北東寄り、摺上(すりかみ)川左岸にある。
 集落跡は堰堤の直下に当たり、造成により大きく地形が変わっているため痕跡は皆無。

 資料『福島の民俗』によると、昭和45年33戸。山田・加藤・今野・佐藤・渡辺各氏が土着の家で、それぞれ本家がある。山田家は10戸、他は4戸ずつ。他には青木・鈴木など。農家が多いが、専業は2戸のみ。商業を営む家が2戸。
 昭和50年27戸127人(国勢調査)。また『信達二郡村誌』(明治36年刊)には、「山刀振人家十二戸」とある。
 伝承では、人々が鉈を振ってこの地を拓いたことが地名の由来とのこと。
 明治24年3月火災があり、東側の9世帯が全焼。
 大正15年、畑地の水田化が行われ昭和9年に完成。自作の米を収穫することができるようになった。
 旧来より炭焼きが仕事の中心で、水田化が行われるまでは養蚕もそれに次ぐ主要な生業であった。畑では養蚕用の桑や自給用の粟・トウモロコシ・大根などを栽培。山焼きの後はそばを蒔くとよく育ち、秋にこれを収穫していた。昭和10年以降、桃畑への転換も行われた。ほか「流し木」(伐採した材を川に流し下流に運搬する)も重要な仕事で、当地のものは飯坂の十綱橋下の河原で引き上げられ桑折・伊達方面に運ばれた。
 鎮守は愛宕神社。

 なお堰堤付近の国道沿いには移設した愛宕神社があり、境内には地蔵堂・太子堂・記念碑・稲荷大明神・各種供養塔が集められている。また隣接した敷地には故郷の碑があり、ダム建設に伴う各集落の移転者の氏名が記されている。
 碑によると、移転者は山田8・今野5・佐藤4・加藤3・渡辺3・青木1の計24戸。

 


写真1 ダム堰堤。集落跡は堰堤右側

写真2 集落跡を望む

写真3 愛宕神社境内。左より地蔵堂・太子堂。右は愛宕神社の祠か。その左は稲荷大明神。石塔は湯殿山・廿三夜塔・庚申塔

写真4 境内の「屶振部落神佛遷宮記念碑」(左)と「屶振堰開田記念碑」(右)

写真5 摺上川ダム故郷の碑

 

戻る 前へ 次へ 市町村選択ページへ 都道府県選択ページへ トップページへ