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◆梨平(なしだいら)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「關」(昭和22.2)を使用したものである

所在:福島市飯坂町茂庭(いいざかまちもにわ)
地形図:関/関
形態:川沿いに家屋が集まる
離村の背景:ダム建設
標高:約240m(水面は約300m)
訪問:2023年5月

 

 大字茂庭の北部、摺上(すりかみ)川左岸にある。現在は摺上川ダムの人造湖(茂庭っ湖)に水没。
 集落の痕跡を見ることはできないが、国道の梨平橋の東詰付近には神社・地蔵堂・多数の石造物といった水没地から移されたものが集められた一角があり、往時の名残を窺うことができる。
 神社は村社の梨平神社。また境内社として稲荷神社が鎮座する。
地蔵堂には延命地蔵(別名獅子内(ししうち)地蔵)が納められている。
 石造物は、分かるもので神社や地蔵等の移転記念碑・「史跡 八方塚」の標柱・戦歿者(安藤氏)の碑・庚申供養?・「念佛供養塔爲現二世安樂也」・庚申供養塔・山神・廿三夜塔。
 これより
南東のダム湖寄りには梨平公園があり、梨平小学校の門柱が移設されている(写真6)。
 堰堤付近にある「摺上川ダム故郷の碑」によると、移転者は今野15・鈴木11・安斎8・清野7・斎藤5、安藤・今村・梅津・小川・加藤・黒須・小室・佐々木・笹原・田中・中村・畑中・村山・山田・渡辺各1の計61戸。

 「福島飯坂茂庭ガイド」によると、当地は茂庭に伝わる「大蛇伝説」にゆかりのある地であることが分かる。水害を起こし、村々を襲う大蛇が菅沼(すげぬま)という場所に棲んでいたが、建久3(1192)年関東から来た斎藤実良(さいとう・さねよし)これを退治。尾を梨平に埋葬し、御嶽神社が建てられたという。なお胴は名号に、首は田畑(たばた)に埋葬され、それぞれ御嶽神社が祀られている。
 さらに斎藤実良はこの地にとどまり、名を改め、以後13代に亘ってこの地を治める茂庭公の初代となったという。
 また梨平神社は、御嶽神社をはじめ茂庭公の氏神であった稲荷神社や諸々の祭神を合祀したものとのこと。

 以下は資料『福島の教育』より梨平小学校の沿革。

 明治10.8.1  茂庭小学校梨平分校開設
 大正8.12.1  名号分教室設置
 昭和39.4.1  独立。梨平小学校となる
 昭和40.1.8  名号分校開校
 昭和43.3.31  名号分校閉校
 平成4  閉校(HEYANEKO氏調べ)

 


(写真1 ダム堰堤)

写真2 集落跡を望む(背戸ノ沢橋より撮影)

写真3 地蔵堂。その右は梨平子育て地蔵の祠と手水舎


写真4 梨平神社(左)と稲荷神社(右)


写真5 境内の石造物群


写真6 移設された梨平小学校の門柱


写真7 タイヤ。小学校の遊具か

写真8 往時の集落(茂庭生活歴史館にて)

 

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