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◆十郎畑(じゅうろうはた)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「荒砥」(昭和22.3)を使用したものである

在:大江町小清(こせい)
地形図:太郎/荒砥
形態:山中に家屋が集まる
離村の背景:移転事業
標高:約430m
訪問:2018年5

 

 大字小清の南部、小清川(最上(もがみ)川二次支流)の上流左岸側にある。
 以下は町史より当地の概要。

小清川で最も早く開けた集落のひとつと言われている。
江戸時代10戸。明治期9戸。昭和に入り12戸。すべて斎藤家だが、系統は3つで、それぞれ住居や墓地が集まっている。
氏神は熊野神社。
青苧(カラムシ)栽培が江戸時代から盛んで、特に良質であった。明治30年代より養蚕が主体となり、青苧畑に桑が植えられた。明治後期から大正までが最盛期。明治40年には製糸場が設けられ、大正9年には全村9名の株式で製糸工場が経営された。繭売りが盛んになる大正11年まで営まれた。
大正初め頃、小清からの道が改修され荷車が通れるようになった。大正13年勝生まで開通。昭和35年以降自動車が通れるように改修され、同38年に十郎畑まで自動車が入るようになった。この頃から戸数が減少し、同51年全戸が離村。
町による集落移転事業により無住となった。当時の5戸のうち、4戸が町により造成された住宅地に移転。
以下は当地にあった学校(七軒南小学校十郎畑冬季分校)の沿革

 明治12  貫見小学校の分教場として開設
 明治20  簡易小学校として独立
 明治41  七軒十郎畑尋常小学校となる。道海(どうかい)に冬季分校設立
 昭和10  七軒南部尋常小学校と改称
 昭和16  七軒南部国民学校となる
 昭和22  南部小学校と改称(七軒村立)
 昭和29  第五小学校と改称(漆川村立)
 昭和33  第五小学校が道海に移転。当地は第五小学校の冬季分校となる
 昭和34  七軒南小学校十郎畑冬季分校となる(第五小学校の改称)
 昭和51  閉校(※)

※ 町史には「十郎畑分校を開設」とあるが、離村時期やHEYANEKO氏の調査から鑑み、閉校の誤りと見て間違いない。なお碑(後述)では50年3月とある。年度と混同したものか

以下は児童数の推移。

  昭和35 昭和40 昭和45 昭和50 昭和55
戸数 9 6 6 3 0
人口 50 35 26 14 0


 現在は往時からの建物は見られないが、集落の外れに新しい簡素な家屋が1軒建てられている(元は宅地ではなかったよう)。学校跡は集落の西側にあり、校地の隅には跡地の記念碑が建てられている(写真9)。

 


写真1 櫓

写真2 屋敷跡

写真3 屋敷跡

写真4 屋敷跡

写真5 屋敷跡

写真6 屋敷跡

写真7 家屋


写真8 校地


写真9 学校跡の碑

写真10 学校跡の風景

写真11 社の跡?


写真12 墓地


写真13 同

写真14 石塔。右は「太神宮」、左は「象頭山」

 

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