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◆勝生(かつおい)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「荒砥」(昭和22.3)を使用したものである

在:大江町勝生
地形図:太郎/荒砥
形態:谷沿いに家屋が集まる
標高:約480m
訪問:2017年11

 

 大字勝生の南部、小清(こせい)川(最上(もがみ)川二次支流)の上流部にある。三本杉峠を挟み、白鷹町の荒沢と接する。
 以下は町史より当地の概要。

江戸時代には片生(かたおい)(※)と呼ばれていたが、天保12(1841)年に勝生と改められた。天保の大飢饉により廃家が出たりしたため、佳字を当てたもの。
江戸時代中期21戸、明治初期11戸であったものが、のち17戸に増加(小林11戸・鈴木6戸)。昭和32年まで16戸を保ってきた。昭和35年15戸99人、同40年13戸78人、同45年10戸48人。
昭和38年朝日町・山形市に各1戸、同43年寒河江市・山形市に各1戸、同45年寒河江市に2戸、町内・朝日町・山形市に各1戸、同46年寒河江市・山形市に各2戸、朝日町・県外に各1戸が転出し無住となった。なお当時町では集落移転事業が計画され当地も移転対象に含まれていたが、実施前に無住となっている。

かつては青苧(カラムシ)栽培・養蚕が盛んであった。製炭は昭和以降盛んになった。
水田には荒沢と大沼(おおぬま)からの入作があったが、水利が不便であることや日照不足もあり収穫は多くなかった。
集落西方に玖林寺(曹洞宗)があった。寛文年間の創建といわれる。また寺の隣に山神社があった。

 また「角川」によると、大字勝生は近世の村山郡勝生村。明治22年七軒村(のち漆川村→大江町)の大字となる。明治11年11戸61人。

 訪問は朝日町側より荒沢・三本杉峠を経由。最近の地図ではいくらかの建物が記載されているが、現存するものは皆無。右岸側でいくらかの屋敷跡と神社の跡・墓地を確認。左岸側でも1箇所の屋敷跡が見られた。

※ 読みは「角川」より

 


写真1 平坦地(以下右岸)

写真2 屋敷跡

写真3 屋敷跡?

写真4 屋敷跡

写真5 写真4にて。「太神宮」の石塔

写真6 農地跡

写真7 神社跡の鳥居

写真8 神社跡の小祠

写真9 墓地

写真10 屋敷跡(左岸)

写真11 農地跡(左岸)

(写真12 三本杉峠付近の石造物群。右は庚申塔)

(写真13 三本杉峠)

 

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