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◆西又(にしまた)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「鷹巣」(昭和29.6)を使用したものである

在:北秋田市綴子(つづれこ)
地形図:藤琴/鷹巣
アクセント:ニシマタ
形態:谷沿いに家屋が集まる
離村の背景:移転事業
標高:約100m
訪問:2016年5

 

 大字綴子の北部、糠沢(ぬかさわ)川の支流(西又沢)沿いにある。
 資料『秋田・消えた村の記録』によると、戦後の最盛期は3戸(武藤2・佐藤1の各家)。集落再編成事業により昭和46年に全3戸が転出したとのこと。転出先は町内糠沢の住宅が多い。刊行当時(平成9年)で3組が水田の通い耕作を行っている。
 現在は手入れされた水田と、家屋の残る屋敷跡が2箇所。集落内には「西又集落之跡」の碑(昭和57年、町による設置。写真2)が置かれている。
 訪れていた元住民(63歳)の話によると、現在通い耕作を行っているのはこの方の1組のみであるとのこと。水田はもと豆類の畑であったが、のち転作されたものであるという。農林業が主な産業であった。
 以下は碑の全文。


 ここ西又の地には、約二百五十年前頃から農林業により生計をたてた人達が居住していた。しかし、町の中心部から遠く交通の便に恵まれず、そのうえ地元での農林業による収入の減少と、生活様式の変化に対応するには、この地は不便であった。
 集落の近代化と、住民の均衡ある福祉の向上を図ろうとする町の要請に基ずき、住民協議のうえ県、町の特別措置を受けて昭和四十六年十一月、新しい土地を求めて三世帯がこの地を離れた。
 よって、これを後世に永く伝えるため、この碑を建立する。

 


写真1 集落風景

写真2 碑

写真3 墓地跡の碑

 

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