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◆立又(たつまた)鉱山



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「大葛」(昭和29.7)を使用したものである

在:大館市比内町谷地中(ひないまちやちなか)
地形図:明利又/大葛
形態:川沿いに家屋や施設が集まる
標高:約200m(地名表記付近)

訪問:2016年5

 

 大字谷地中の南部、糸柄沢(おがらさわ)川沿いにある
 資料『比内町の歴史』によると、当鉱山の主な鉱種は、金・銀・銅・鉛・亜鉛・硫化鉄。下流側より黒鉄町・赤銅町・滝の下・白銀町・黄金町といった街区があったよう。主な沿革は以下のとおり。

 元文3(1738)  稼働開始
 明治27  阿仁鉱山野呂氏の経営となる
 明治39  池上氏・荒川氏の共同経営となる
 大正4  荒川氏の所有となる
 大正8  休山
 昭和5  再開するが、休山状態が続く
 昭和18  大日本鉱業株式会社の所有となり、立又鉱山と称する
 昭和26  立又鉱業所と改称
 変電所・選鉱場・診療所開設

 昭和28

 最盛期。粗鉱月産3,000トン、産高県内5位
 昭和32  従業員400人超
 昭和36  軌道(扇田線)による輸送廃止。トラック輸送に転換
 昭和48  閉山

 なお町誌(昭和39年刊行)によると、立又小学校は昭和23年5月18日、西館小学校の分校として開校。昭和31年4月1日独立。以下は児童数の変遷。

年度 昭和23 昭和24 昭和25 昭和26 昭和27 昭和28 昭和29 昭和30 昭和31 昭和32 昭和33 昭和34 昭和35 昭和36 昭和37 昭和38

児童数

6 8 6 27 33 45 56 89 100 120 135 145 147 128 125 114


 まず『比内町の歴史』の絵地図に「選鉱場」とある付近を訪問。不自然に広い谷の地形が見られるが、鉱山に関連した造成地だろうか(沈澱池跡? 写真1)。現在は乾いた荒蕪地だが、下方ではその名残の水路状の構造物が見られる(写真2)。また最近の地形図にも記載されている神社(山神社)は、既に社殿はなく灯籠と何かの土台が残るのみ(写真5・6)。少し上流、赤銅町と滝の下の間には立又小学校があったが、その跡地には記念碑(昭和54年10月、立又小学校跡碑建立実行委員会による設置。写真10)がある。以下はその隣にある説明文。

「記念の碑」建立について

 昭和四十八年三月、立又小学校廃校となりしより、早や六年を過ぎんとす。その間、懐旧の念止みがたく、時折跡地を訪れしも何一つ残されておらず、唯荒れるがままの姿にしばし悄然とたたずむのみ。淋しさ限りなく同窓の友と会う度に述懐(※)せり。
 かかる折、常々心に思う有志相集い相談せしところ、昔日の思い出を求めこの地を訪れる人々にために「記念の碑」を建立せんと衆議一決せり。
 かたわら往時鉱山(ルビ:やま)に居られし父兄の方々にも意見を徴せしところ是非との激励のことばを受け、ここにゆかりのある百数十名の方々の貴重な浄財を結集し、左記吉日を期して盛大に除幕せしものなり。

※ 本文では「逑懐」だが、誤記だろう

 さらに上流、地図画像で「立又鉱山」の表記がある部分(黄金町)には遺構や残留物はまったく見られなかった。左岸にあった白銀町は未訪問。
 なお街区の別や施設の位置の情報を得たのは事後であったため、これを念頭に置いた探索は行っていない。

 


写真1 沈澱池跡?

写真2 水路

写真3 遺構

写真4 遺構

写真5 神社・灯籠

写真6 神社・何かの土台

写真7 赤銅町付近

写真8 滝の下付近?

写真9 学校跡

写真10 学校跡の碑と説明看板

写真11 黄金町付近

写真12 坑口付近?

写真13 同

 

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