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◆山萱草(やまかやくさ)



※ この地図は、大日本帝国陸地測量部発行の1/50,000地形図「阿仁合」(大正5)を使用したものである

在:北秋田市阿仁萱草鉱山(あにかやくさこうざん)
地形図:阿仁合/阿仁合
形態:川沿いに家屋や施設が集まる
標高:約230m
訪問:2016年5

 

 町の北部、集落は荒瀬(あらせ)川(阿仁川の支流)沿いにある。銅を主体にほか金・銀を産出した「阿仁鉱山」(※1を形成する鉱山のひとつ、「萱草鉱山」に関わる施設や人家があった地域。ここでは「天狗平」も同時に取り扱う。
 資料『阿仁鉱山跡探訪』およびその続編によると、鉱山は寛文111671)年、加賀谷四郎兵衛が羽立平に発見したとのこと。寛文12年、鴻池善右衛門・加賀谷四郎兵衛天狗平鉱山を開く。
 鉱山集落は阿仁川沿いと当地に分かれ、前者が通称「里萱草」(現在の大字萱草)と呼ばれていたのに対し、こちらは「山萱草」と呼ばれた。
 訪問は大字荒瀬川(あらせがわ)との境目からから萱草橋までの間のみであったが、建物の遺構のようなものは確認できず。ただし道路より南側には多数の墓石が集まる一角があり、鉱山関係者の墓地であったことが窺える。なお町史にも、萱草鉱山墓地には友子(※2の墓が町内でも圧倒的に多いことが触れられている。
 当初は昭和20年代の地形図しか持っておらず、これには建物はほとんど記されていなかったためあまり詳しい踏査は行わなかった。後に入手した大正期の地形図では、萱草橋から天狗平橋までの間にも多くの施設が建ち並んでいたことが分かる。
 HEYANEKO氏によると、当地には阿仁合小学校萱草分校があったとのこと(昭和53年閉校)。

1 小沢(こさわ)・萱草・真木沢(まぎさわ)・三枚(さんまい)一ノ又二ノ又6箇山の総称。のちに大沢・天狗平・黒滝・糠内・深沢の各山を加え阿仁11箇山とも
2 友子(ともこ)とは、鉱山労働者による独自の相互扶助組織。江戸時代から近代まで続いた

 


写真1 平坦地

写真2 平坦地

写真3 石積み

写真4 「山萱草地すべり防止集中井工」

写真5 庚申塔

写真6 墓地にて

写真7 同

写真8 防風林?

写真9 巨樹

写真10 開けた平坦地(学校跡?)

写真11 天狗平橋

写真12 道沿いの風景(天狗平にて)

 

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