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◆小沢(こさわ)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「川崎」(昭和22.4)を使用したものである

所在:川崎町支倉(はせくら)
地形図:陸前川崎/川崎
形態:川沿いに家屋が集まる
離村の背景:ダム建設
標高:約140m(水面は約150m)
訪問:2023年5

 

 大字支倉の西部、前川(碁石(ごいし)川支流)右岸にある。釜房(かまふさ)ダムの建設により離村したが、家屋の多くは地図上の湖面の高さとほぼ同じ標高となっている。
 集落跡は草木が深く生い茂っていたため探索せず。水量が特に多い時期であったため、あるいは水没していた可能性もある。
 なお現在は右岸道路沿い、ゴルフ場の分岐に頌徳碑(疏水に関するもの)と「文学博士 永澤要二生誕之地」の碑、その後方に多数の石造物が置かれている。石造物は、石祠のほか分かるものでは馬頭観世音・山神・念仏供養塔・雷神・湯殿山・太神宮・姥神・蔵王大権現・蛇王大明神(ほか確証はないが金華山・一宮・古い墓石と思われるもの)等と多種に亘る。

 資料『釜房ダム水没地区緊急民俗資料緊急調査報告』によると、大正初期8戸、昭和15年15戸、同30年21戸、同42年20戸。
 昭和42年現在で、小沢地区(大針・小沢・宮葉)の主な生業は農業。水稲を中心として蒟蒻・大豆・麦・蔬菜を栽培。明治初期は自家消費の雑穀・蔬菜が中心で、製炭が重要な収入であった。明治21年の小沢用水の完成により、営農は水稲が中心となる。
 明治末期に養蚕が導入されたが、大正年間を最盛期に衰退し、昭和17年頃には数戸のみ、戦後は再び水稲と麦・大豆等が中心となる。
 昭和22年頃から葉タバコの生産が始まる。最盛期は昭和38年前後で、昭和42年現在は4戸のみ。
 製炭は古くから行われ、昭和初期から終戦の頃までが最盛期。

 なお当地にはかつて支倉小学校小沢倉分校があり、町史によると昭和43年3月31日閉校とのこと。

 


(写真1 ダム堰堤)

写真2 碑

写真3 石造物群

写真4 集落遠景

 

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