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◆小松倉(こまつくら)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「川崎」(昭和22.4)を使用したものである

所在:川崎町小野(おの)
地形図:陸前川崎/川崎
形態:山裾に家屋が集まる
離村の背景:ダム建設
標高:約120m?(水面は約150m)
訪問:2023年5

 

 大字小野の中部、太郎(たろう)川(=碁石(ごいし)川上流部。名取川支流)左岸側にある。現在は釜房(かまふさ)ダムの人造湖(釜房湖)にほとんどが水没。
 現在は、最近の地形図での地名表記付近に新設の家屋が2軒と商店跡、そして移設された神社(釜房天満宮)がある。境内には移設されたと思われる石造物が並んでいる。
 以下は参道入口にある神社の由来(平成23年、町教育委員会による)。


元和元年(一六一五年)九月、大阪夏の陣で敗れた豊臣方の武将、坂上秀理倉人(さかうえしゅうりくらんど)は小松倉まで落ち延び、小野前田に居を構えた。その折、天神を崇敬し屋敷の乾(北西)の方角に社殿を建て、鬼門(北東)に厄除けとして神明社を祀り、辰巳の檀囲いを墓地とした。日の沢を駒立て場として馬場をつくり、いざという時に備えて武を練った。掛田(かけだ)には釜場を設けて土器を焼き、地区民にその技術を伝えたという。
倉人の死後、寛永年(一六〇四)に至り地域の守護神として天神社と神明社を合祀して釜房天満宮と称するようになった。
明治四十五年四月裏山十五番地と交換した土地に轆轤で遷座、昭和の代へと伝えてきたが釜房ダムの建設に伴い現在地に移築して奉祀した。
今は湖底の山岸十八番地には倉人が勧請したという集落の菩提寺真言宗の光明山法性(ほっしょう)寺があった。寺には倉人の鐙が預けられていたが大正六年廃寺となったため小野にある青雲山西福(さいふく)寺に移され法性寺の宝物他、両大師、不動明王、八大童子、三十六童子とともに保管されている。


 またその先の支流には温泉の記号があるが、ここには最近まで旅館が営まれていた。
 集落の西側でも管理された別宅があり、隣接する下石丸にかけて県道沿いに数戸がまとまって見られる。
 なお当地にはかつて川崎小学校小松倉分校があり、明治35年開校、昭和43年閉校(HEYANEKO氏調べ)。

 町史によると、転出者は菅原12・支倉9・佐藤5・小笠原2・坂上2、伊藤・岩崎・佐々木・高橋・作間・兵藤・平泉・八巻が各1。転出先は仙台市27・町内3、ほか秋保町【現・仙台市太白区】・大郷町・角田市・蔵王町・柴田町・多賀城市・山元町・亘理町・栃木県が各1。

 


(写真1 ダム堰堤)

写真2 左岸堰堤付近より集落跡を望む

写真3 県道と商店跡

写真4 神社社殿

写真5 扁額等

写真6 境内の石造物群。左より一ノ宮・古峯神社・念仏供養塔・庚申・三界萬霊・善光寺如來?・一宮・?・石段諸願成就記念・石祠・雷神

写真7 釜房音頭歌碑

 

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