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◆幕舘(まくだて)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「新町」(昭和22.1)を使用したものである

在:花巻市豊沢(とよさわ)
地形図:鉛/新町
形態:川の合流部付近に家屋が集まる
離村の背景:ダム建設
標高:約300m
訪問:2017年5

 

 大字豊沢の西部、豊沢川(北上(きたかみ)川支流)と桂沢との合流部付近にある
 現在は県道の盛土によりかつての姿は少し失われているものの、県道下には集落跡の平坦地が広がっている。確認できた屋敷跡は2箇所程度であったが、おそらく道路用地になったものもあると思われる。神社は未確認。幕舘橋より西側の左岸では水田跡が見られたが、最近の地図で記されている建物は見当たらない。右岸には川沿いに別荘が数棟。山寄りには大型の東屋があるが、後述の学校跡及び野外活動センターであるよう

 資料『湖底をしのぶ 豊沢平和郷』によると、豊沢ダムの建設に伴い当時の8戸が離村したとのこと。計画当初は移転地区に含まれていなかったが、昭和30年に計画が変更され水面が嵩上げされたため離村することとなった。昭和30年頃上流の開拓集落三ッ口から当地に入植が行われたが、これも昭和41年から42年にかけて全戸が移転した。
 また水没以前は豊沢にあった学校(豊沢小中学校)は当地に移転し、無住となるまで継続。昭和49年、小中学校跡地に財団法人岩手県野外活動センターが開業した(現在は閉鎖)。
 同書
「旧豊沢部落家屋配置図」には、左岸に「新らし屋」・「大家」・「うしろ」・「さっこむかい」・「のっこ」、右岸に「大家かまど」・「大平戸」・「三太郎かまど」・「ふか」・「藤内沢」・(空白)の計10軒および神社が記載されている(すべて屋号。時期は不明)。
 なおダム建設の経緯や学校の沿革、集落の概要などは、豊沢のページを参照。

 


写真1 屋敷跡

写真2 写真1にて。水瓶

写真3 屋敷跡?

写真4 屋敷跡

写真5 写真4にて。樹木と地面の槽

写真6 水田跡

写真7 写真6付近にて。碍子

写真8 別荘群

写真9 東屋(野外活動センター跡にて)

写真10 野外活動センター跡の一部(現在は植樹された若木が多数植えられている)

写真11 幕舘橋

 

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