◆二番川(にばんがわ)
※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「月形」(昭和31.12)を使用したものである
所在:当別町青山奥二番川(あおやまおく―) 地形図:二番川/月形
形態:平坦地に家屋が散在する
離村の背景:ダム建設(2世帯現住)
標高:約100m
訪問:2012年6月
字青山奥二番川の中西部にある。字としてはもと「字青山奥」の一部であったが、大正8年一番川から大袋までが字二番川として再編。
以下は町史および「角川」より集落に関する記述の抜萃。
明治28年鈴木農場・久保農場などを設置し、本格的な開拓が始まる
最初の入植者は明治33年の13戸
初期は自給作物の栽培。米は作らなかったので月形町に買い出しに行ったが、粟やトウキビに混ぜて食い延ばしていた。のち商品作物として大麻を栽培(※1)
明治36年、菅野氏が許可を得て桂の沢と砂金沢で砂金採取を開始。さらに大正2年6名が共願で鉱区を取得。最盛期には出稼ぎもあり従業員も50名程度あったが、次第に取れなくなり、やがて廃止
初めて水田ができたのは大正8年
昭和8年70戸、終戦後には20戸余り
昭和21年から24年にかけて、本州から一番川・二番川に59戸が移住(※2)
※1 隣接する青山中央でも大正初期まで大麻を栽培。廃止時期は二番川も同様だろう
※2 ただし「角川」では、移住者は満洲・樺太・道内などからとし、また戸数は58
以下は学校の沿革。
(小学校)
明治37 |
農場に仮校舎を設け授業開始 |
明治38 |
校舎移転 |
明治41.9.30 |
二股(ふたまた)教育所発足 |
大正2.10 |
校舎設立 |
大正6.4.1 |
二股尋常小学校と改称 |
昭和16.4.1 |
二股国民学校と改称 |
昭和22.4.1 |
二股小学校と改称 |
昭和50 |
閉校(HEYANEKO氏調べ) |
(中学校)
昭和28.9.1 |
青山中学校二股分校開校。二股小学校に併置 |
昭和38.4.1 |
独立し、二股中学校となる |
昭和50 |
閉校(HEYANEKO氏調べ) |
当別ダム建設に伴い住民が移転したが、牧場(乳牛)を営む家が残存し、現在も居住している(親世帯・子世帯の計2戸)。
現住の方の話では、多くの住民は当別ダム建設に伴い農地を残し補助金で転出、通いで耕作に訪れているが、牧場(昭和42年より酪農開始)は通いで行うわけにもいかず、やむなく留まったという。
後年の集落は、ほとんどの世帯が稲作・林業で生活していた。
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