◆青山中央(あおやまちゅうおう)
※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「月形」(昭和31.12)を使用したものである
所在:当別町青山奥(あおやまおく) 地形図:青山中央/月形 形態:川沿いに家屋が集まる
離村の背景:ダム建設
標高:約60m
訪問:2012年6月
字青山奥の川沿いを中心とした地域。当別ダム建設に伴い離村が進んだ。
以下は町史より集落に関する記述を抜萃。
明治27年、富山県の人物とその小作人が入植したことにより開拓が始まる
まず自給用の麦・豆類・イナキビ・トウモロコシ・ソバ・ジャガイモ・カボチャなどを栽培。山間地のため雪融けが遅く、農耕の時間は少なかった。続いて換金作物の大麻が栽培され、大正初期まで続いた。のち豆類などが栽培されたが、第一次大戦のため高値で取り引きされ、ほとんどの農家が作っていた。大戦終了後は水稲に目が向けられ、用水路も次々と掘鑿された。水田が確立されると、農家の経営も安定。これまで激しかった住民の出入りも収まる
明治34年国有林から地方林への編入があり、林業も集落に大きな恩恵をもたらした。初めは薪炭材・建築材・枕木などであったが、大正14年製紙会社と契約が結ばれ、造材の労働者として農閑期の現金収入となった。昭和17年からは造林も盛んに行われるようになり、造林地や苗圃で従事
主な機関は、林務署駐在所・青山郵便局・警察官駐在所・開発局出張所・役場出張所・道立診療所・農協支所など。ほか旅館・商店・工場・寺院などがあった。140戸596人。
(年表)
明治27 |
野村氏が、野村農場開設。家族・小作人数世帯とともに入植 |
明治30 |
坂井神社建設。大麻栽培開始 |
明治31 |
水稲栽培開始 |
明治33 |
野村農場事務所前に伊勢神宮遥拝所設置 |
明治34 |
駅逓所設置 |
明治36 |
巡査駐在所設置 |
明治44 |
青山郵便局設置 |
大正元 |
火葬場・墓地設定 |
昭和16 |
字名を青山中央とする |
昭和17 |
駅逓廃止 |
昭和23 |
中央バス運行開始 |
昭和27 |
道立診療所設置 |
昭和30 |
電灯導入 |
昭和31 |
当別町役場出張所設置
青山ダム着工 |
昭和40 |
僻地保育園開設 |
以下は学校の沿革
(小学校)
明治34 |
青山奥簡易教育所設置 |
明治42 |
当別第三尋常小学校と改称 |
大正5.3 |
青山奥尋常小学校と改称 |
昭和14.4 |
高等科を設置。青山奥尋常高等小学校と改称 |
昭和16.4 |
青山奥国民学校と改称 |
昭和16.5 |
青山中央国民学校と改称 |
昭和22 |
青山中央小学校と改称 |
平成12 |
閉校(HEYANEKO氏調べ) |
(中学校)
昭和22.5.1 |
弁華別(べんけべつ)中学校青山中央分校開校。青山中央小学校に併置 |
昭和27.7.1 |
独立。青山中学校となる |
昭和28.9.1 |
二股分校開設(二番川) |
昭和33.4.1 |
青山中央中学校と改称 |
平成12 |
閉校(HEYANEKO氏調べ) |
現在道道沿いに残っている主だった施設は、上流より青山中央墓地・青山農業センター・道民の森案内所・青山交流館(青山小学校・中学校跡)など。つい最近まで家屋や商店などがあったとのことだが、今や見る影もない。
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