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◆北幌加(きたほろか)



※ この地図は、国土地理院発行の1/50,000地形図「西徳富」(昭和36.10)を使用したものである

在:新十津川町幌加(ほろか)
地形図:南幌加/吉野
形態:緩傾斜地に家屋が散在する
標高:約210m
訪問:2012年6

 

 大字幌加の北部、徳富(とっぷ)川左岸の緩傾斜地にあるもとは独立した行政字(字北幌加)であったが、昭和43年全域が新設の字「幌加」に含まれた。
 『新十津川百年史』によると、
西村氏所有の農場に明治35年頃から小作人が入植し、開墾が始まったことが集落の興り。
 以下は学校の沿革と児童数・生徒数の推移。

 明治41.2.1  吉野簡易教育所所属幌加特別教授場開設
 明治42.4.1  吉野尋常小学校の所属となる
 大正6.6.12  幌南尋常小学校の所属となる
 昭和9.5.14  独立。幌加尋常小学校となる
 昭和16.4.1  幌加国民学校と改称
 昭和22.4.1  幌加小学校と改称

 昭和43.4.1

 北幌加小学校と改称
 昭和47.3.31  廃校

  明治41 大正2 大正7 大正12 昭和3 昭和8 昭和13 昭和18 昭和23 昭和28 昭和33 昭和38 昭和41 昭和42 昭和43 昭和44 昭和45 昭和46

小学校

44 38 57 27 36 45 36 29 39 29 35 31 14 14 12 11 12 7
中学校         15 18 14       18 13 19          


 集落跡には現在でも広大な農地が耕作されており、人の出入りは多い。しかし往時の家屋を偲ばせるものは何も残っていないよう。最近の地図でも記載されている碑は、「殉公之碑」(写真2)。道路工事に伴う事故の犠牲者を悼んだもの。またこの碑の正面は浄水場跡になっているが、教えていただいた情報ではここが学校跡とのこと。施設は現在使われているか分からず、また学校の面影もまったくない。浄水場の前の平地には倒潰した建物があるが、物置だろうか。集落の北東には墓地があり、奥出・大場・阿部・坂口・小口・小川・奥家・大井といった姓を確認。墓石がそれぞれ散り散りに置かれているのが特徴的。

 


写真1 農地

写真2 碑

写真3 浄水場門柱

写真4 

写真5 墓地

 

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