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◆中岳(なかだけ)

在:京極町中岳
地形図:中山峠/定山溪 京極/倶知安
形態:?
標高:?
訪問:―

 

 町の中部北寄り、ワッカタサップ川の上流流域にある。
 町史によると、行政字としてはかつて字カシプニと呼ばれた場所の一部。昭和1641日、字名改正により錦・東花・大富・脇方・中岳の5字に分割された。地名の由来は、「本村の東部山岳地帯を主とし遥かに眺むる霊山中岳を以て村界となすに因る」。
 同書より当地域に入植した団体は古いものから山形団体・宮崎団体・第三群馬団体・吉田団体・管野団体(※)。いずれも気候や土壌が農業に適しておらず離村に至っている。

 以下、各団体について概要を記す。

※ ほか滋賀団体および秋田団体が「今の中岳」と記されているが、現行では字松川(まつかわ)に含まれているよう。開墾地も当時のペーペナイ(後の字松川を一部に含んでいる)と明記されている

・山形団体
 明治425月入植。山形県東村山郡出身の団長石山氏をはじめ25戸。ほとんどが後の鉱山(脇方のページ参照)の鉱区にあたり、大正元年10月鉱業用地として買収。非利用地は小作権を認められていたが、気候や土壌が営農に適さず鉱業へ就く者が続出。大正9年頃より漸次転出、昭和56年頃(最後の在住者の子孫の話では昭和9年)離村。

・宮崎団体
 大正25月入植。福島県信夫郡吉井田村【現・福島市】出身の団長宮崎氏をはじめ20戸。昭和5年頃離村。

・第三群馬団体
 大正26月(旧村史)ないし明治45年(古老談)に入植。団長の萩原氏をはじめ20戸。大正13年離村。町内の開拓団の中でも、生活環境が最も苛烈な土地であった。判明している構成員は、萩原・萩原・石原・丸岡・中島・吉形・島田・清水・田中・富沢・多胡・久保。

・吉田団体
 大正34月入植。福島県信夫郡吉井田村出身の団長吉田氏をはじめ12戸。昭和3年離村。引用の子孫の話では、吉田・佐藤・吉田・阿部・佐藤・三浦・浅井・平塚・本田・丹治・阿部の各氏(11名)。

・管野団体
 大正35月入植。福島県信夫郡吉井田村出身の団長管野氏をはじめ10戸。昭和3年離村。

 なお「角川」によると、入植者はササゲ類・ソバ・イナキビなどを栽培し、大正末期から昭和10年頃にかけハッカを栽培したという。大正8年には北十線特別教授所が設置されたが、同12年廃止。また日鉄鉱業の採鉱区のため、昭和10年頃から農地を鉱山に売却し同鉱山に雇用される者が増えたが、昭和45年鉱山の廃止とともに全く無住地となった。

 

 

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