◆蕗の台(ふきのだい)
※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「蕗之台」(昭和31.7)を使用したものである
所 在:幌加内町蕗の台
地形図:朱鞠内湖北部/ピッシリ山
異表記:蕗之台・蕗ノ台
形態:川沿いに家屋が集まる
離村の背景:大半が農業の不振
標高:約320m
訪問:2012年6月
町の北部、朱鞠内(しゅまりない)湖に注ぐウツナイ川沿いにある。駅付近の第1地区、戦後の開拓集落の第2地区に細分。
町史によると、第1地区に鉄道・木材の関係者が居住したのち、戦後の開拓地に指定。第2地区に「日鋼開拓団」(※1)の一部が入植した。ジャガイモの澱粉を製造するなどしていたが、寒冷地であることや酸性土壌のため農業は振るわなかったよう。特に昭和29年の台風15号・冷害・降霜により潰滅的な被害が生じ、日雇い仕事などで辛うじて生活。昭和30年に開拓団として初めて農産物を出荷するも脱落者が続き、無人に至る。
第1地区昭和25年22戸97人、同30年27戸124人、同35年18戸70人。
第2地区昭和25年32戸167人、同30年22戸103人、同35年19戸119人、同40年3戸13人、同45年1戸1人、同50年1戸14人。
※1 株式会社日本製鋼所の室蘭軍需工場より、終戦に伴う事業の転換のため解雇された工員により結成された
以下は同書より主な沿革。
昭和11.5 |
宇津内(うつない)‐白樺間の鉄道建設工事開始(同13年4月終了)、無住の当地に深名(しんめい)線の駅が設けられる(※2) |
昭和16.10 |
深名線全線開通。木材は鉄道による輸送が主となり、駅周辺に造材事業者や鉄道関係者、日通の営業所員などが入地 |
昭和17 |
この頃の居住は、初代駅長の葉柴氏ら12戸 |
昭和21.6 |
蕗の台開拓団結成。7月、入植開始 |
昭和21.10.25 |
村会により蕗の台が集落として新設 |
昭和22.4 |
駅付近を蕗の台第1、開拓団を蕗の台第2とする |
昭和36.4 |
蕗の台駅が無人化 |
昭和37.7.11 |
国の方針により集団離農を決意。蕗の台第2自治区解散 |
昭和40 |
蕗の台第1自治区自然消滅。駅周辺の3戸のみとなる |
昭和47夏 |
無人となる |
平成2.3 |
蕗の台駅廃止 |
※2 Wikipediaによると、正式な開業は昭和16年10月のよう
(小学校沿革)
昭和22.10 |
寺島氏の住宅を一部改造し、母子里(もっしり)小学校蕗の台分校を開設。
(以前は鉄道で母子里まで通学) |
昭和23.12.24 |
第1地区に校舎完成 |
昭和24.4.1 |
独立。蕗の台小学校となる |
昭和37.5.31 |
廃校 |
なお児童数は、昭和25年43人、同30年32人、同35年31人。
(中学校沿革)
昭和25.12 |
朱鞠内中学校蕗の台分校開校。蕗の台小学校に併置 |
昭和30.4 |
独立。蕗の台中学校となる |
昭和37.5.31 |
廃校 |
当地では蕗の台駅の跡がそれとなく分かる程度で、屋敷跡や農地跡もほとんど分からなくなっている。
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