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◆千歳(ちとせ)鉱山



※ この地図は、国土地理院発行の1/50,000地形図「双葉」(昭和48.4)を使用したものである

在:千歳市美笛(びふえ)
地形図:白老岳/双葉
形態:川沿いに家屋や施設が集まる
離村の背景:産業の衰退
標高:約320m〜
訪問:2014年5

 

 字美笛の南部、美笛川およびその支流沿いにある。金鉱山の千歳鉱山に伴う鉱山集落。
 町史によると、露頭の発見は昭和8年、山師の大野氏による。昭和10年中島商事株式会社が買収し、昭和11年10月千歳鉱山株式会社創立、以後金鉱山として本格的な経営が開始された。それまでは美笛金山と称されていたものを、このとき千歳金山に改称。日中戦争中には軍需の増強を図るべく労働力・資材が軍用品の生産に集中化されたため、金鉱山は当面不要とされ休山・閉山が進められた。当鉱山も休山し
、労働力や解体された施設は各地に離散。坑内の維持のみが続けられたが、次第に荒廃が進む。戦後は採掘が再開され、昭和25年三菱金属株式会社の経営となる。昭和40年には高品位の鉱脈が発見されるものち経営不振に陥り、昭和52年には従業員の住居を鉱山地区より分離する方針を打ち出す。同年11月約40世帯が市内真町(しんちょう)に設けられた新興住宅に移転し、バスによる通勤となる。その後もさらに合理化を図り経営を縮小、閉山に至った(※1)
 初期の輸送は美笛川沿いに敷設された専用軌道(昭和10年完成)により支笏(しこつ)湖畔まで運ばれ、専用機船により対岸へ、苫小牧まで王子製紙の軽便鉄道(通称「山線」)で輸送。昭和26年鉱石運搬の架空索道敷設。専用軌道は昭和27年7月には撤去され、湖岸まではトラック輸送となる。索道も昭和39年廃止された。道路の改善により昭和40年5月には湖上輸送も廃止された。
 街区は概ね下流側より、草笛川と千歳川合流部付近の「草笛町」、八千代橋を渡って対岸の「舞園町」、モルシン美笛川沿いに5〜600mほど上流に向かい、永代橋を渡った「鳴尾町」、さらに2kmほど遡った採鉱地区の「本山町」があったよう。ほか「福神沢町」の地名が見られるが、草笛・舞園以西の千歳川本流一帯の地域(手持ちの資料では河川名が「福神沢」となっている)を指すものだろうか。特にこれといった建物の密集地は見られない。草笛町には専用軌道の八千代駅・総合事務所・郵便局・配給所・職員住宅など、鳴尾町には成尾駅・小学校・配給所・診療所(※2)・鉱員住宅・精錬所、本山町には本山駅・選鉱場・配給所などがあったよう。

※1 当方では手持ちの資料から確認できなかったが、諸サイトによると閉山は昭和61年であるよう
※2 地図画像では舞園町に病院の記号があるが、移転したのだろうか

 以下は当地にあった学校の沿革。

(小学校)
 昭和11.2.16  烏柵舞(うさくまい)尋常高等小学校千歳鉱山特別教授所開設
 昭和12.3.11  新校舎完成
 昭和12.10.1  独立。千歳鉱山尋常高等小学校となる
 昭和16.4  千歳鉱山国民学校となる
 昭和22.4  千歳鉱山小学校となる

 昭和53.3.31

 廃校

(中学校)
 昭和22.4.1  千歳中学校鉱山分校開校。小学校に併置
 昭和25  独立。千歳鉱山中学校となる
 昭和28  独立校舎完成

 昭和53.3.31

 廃校


 先述の街区のうち、草笛町・舞園町・鳴尾町を訪問。いずれも当時の建物は撤去されており、その痕跡を探すのも困難。草笛町の中学校、舞園町の神社、鳴尾町の精錬所は未訪問。小学校跡(鳴尾町)は既に広く植林地となっており、校地の境界も分からないほどに整地されている。千歳川沿いには最近の地図で鉱山の記号(廃鉱)が記されている場所があるが、ここには排水処理のためか現在も稼働中の施設が置かれている。

 

≪草笛町≫

写真1 街区方面を望む

写真2 街区入口にて。右は倉庫

写真3 住宅地跡

写真4 金属製の板

写真5 人工的な石積み

写真6 何かの基礎

写真7 建物の一部。左は煙突

写真8 平坦地

写真9 八千代橋近くにて
≪舞園町≫

写真10 住宅地跡にて。左は防風の並木?

写真11 同

写真12 同

写真13 同

写真14 生活用品

写真15 散在する瀬戸物
≪鳴尾町≫

写真16 道

写真17 看板。「変電所 千歳鉱業所」とある

写真18 平坦地

写真19 何かの基礎

写真20 何かの礎石

写真21 道

写真22 小学校跡付近?の植林地

写真23 平坦地

写真24 平坦地

写真25 壜など

 

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