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◆炭山(たんざん)
(浦幌
炭礦)



※ この地図は、国土地理院発行の1/50,000地形図「常室」(昭和33.1)を使用したものである

在:浦幌町炭山
地形図:活平/常室 霧里/音別 常室/常室
形態:川沿いに家屋や施設が多数集まる
離村の背景:産業の衰退

標高:
約130m
訪問:2013年6月

 

 町の南東部、常室川沿いにある。浦幌炭礦に伴う礦山集落。
 以下は『浦幌町百年史』より、炭礦の主な沿革。

 明治

 古河鉱業株式会社所有。採掘権古河鉱業

 大正2  大和鉱業株式会社が古河鉱業を買収
 大正7  浦幌炭礦として操業開始
 大正10  一時休山(大正12年とも)
 昭和8.7  操業再開
 昭和11  浦幌炭礦は三菱雄別炭砿鉄道株式会社の所有となり、尺別鉱業所の管下となる
 昭和16.11  尺浦通洞完成
 昭和19  国策により休山。九州の炭礦へ業務転換(戦後再開)
 昭和23  出炭量最多(約22万2,000トン)

 昭和25.1

 尺別炭礦に併合
 昭和29.10  閉山
 昭和42  炭山地区より山仕事の従事者が転出。無住となる

 学校の沿革は次のとおり。

(小学校)
 昭和8  浦幌炭鉱尋常小学校開校(三菱雄別炭砿鉄道株式会社社立)
 昭和14  3月、公立に移管
 4月、浦幌炭砿尋常高等小学校となる
 昭和16.4  浦幌炭砿国民学校と改称
 昭和21  3月31日 操業中止に伴い一時閉校
 6月 常室国民学校浦幌炭砿分教場として再開
 昭和22.6.1  浦幌炭砿小学校となる
 昭和32.4.1  上常室小学校の分校となる
 昭和37.4  常室小学校の分校となる

 昭和42.7.31

 閉校

(中学校)
 昭和23.3.1  浦幌炭砿中学校開校。小学校に併置
 昭和26.2  校舎完成

 昭和30.5.1

 分校設置
 昭和32  常室中学校炭砿分校となる
 昭和42.7.31  閉校

 なお浦幌高等学校炭砿分校は、昭和28年開校(中学校に併置)。昭和30年閉校。

 現地の絵地図(写真1)によると、街区は下流より栄町・東町・相生町・共和町(協和町?)・弥生町・高見町・宮前町・錦町があったよう。東町には健保会館、相生町には詰所・中学校、共和町には購買・商店街・協和会館(娯楽施設)・派出所・消防、弥生町には鉱員寮(双雲寮)・小学校、高見町には寺院、宮前町には山神社・病院、錦町には事務所・幹部住宅・職員寮・送電所・変電所といった施設や設備が置かれていた。現在は栄町の集合住宅3棟や復興記念碑などのほかは、目立った遺物は見られない。相生町では「みらいの森」と称し、東屋や遊歩道が設けられている。

 


写真1 絵地図

写真2 集合住宅(以下栄町)

写真3 同

写真4 同。一室

写真5 集合住宅跡

写真6 往時の東町(以下東町)

写真7 住宅街の道

写真8 住宅跡

写真9 同

写真10 同

写真11 浴場跡?

写真12 健保会館跡?

写真13 「みらいの森」の看板と東屋(以下相生町)

写真14 中学校跡?

写真15 往時の商店街(以下共和町)

写真16 商店街付近

写真17 協和会館跡?付近にて

写真18 消防・派出所跡付近?

写真19 往時の鉱員寮(以下弥生町)

写真20 鉱員寮跡?

写真21 往時の小学校

写真22 小学校跡?にて

写真23 同

写真24 道

写真25 高見町への道

写真26 平地(以下高見町)

写真27 平地

写真28 道(以下宮前町)

写真29 復興記念碑(左)と国民学校卒業生訪問記念の木柱(右)

写真30 何かの跡

写真31 病院前風景

写真32 病院跡

写真33 往時の山神社

写真34 神社跡?の基礎

写真35 軌道の鉄橋(以下錦町)

写真36 写真35の橋脚

写真37 尺浦隧道

写真38 同

写真39

写真40 何かの跡

写真41 便所跡

写真42 何かの跡

写真43 通気口

写真44 同

写真45 道

写真46 何かの跡

 

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