◆拓雄(たくゆう)
※ この地図は、国土地理院発行の1/50,000地形図「立牛」(昭和48.3)および同「白滝」(昭和46.6)を使用したものである
所在:滝上町オシラネップ原野(おしらねっぷげんや) 地形図:上雄柏/立牛 雄柏山/白滝
アクセント:タクユー
形態:川沿いに家屋が集まる 標高:約300m
訪問:2012年6月
字オシラネップ原野の南部、オシラネップ川および支流のペペロナイ川沿いにある。
町史によると、集落は昭和20年から23年にかけて戦中の強制疎開や戦後開拓で21戸が入植したことに始まる。昭和30年代には、同29年の台風15号による風倒木処理に伴い多数の林業労働者が入地、人口のピークに達する。離農が進むと町が集落の維持を図るが、住民は離村を決意。昭和42年6戸、同43年3月全戸離村。
以下は同書より学校の沿革。開校までは上雄柏まで通学していた。
昭和26.1.17 |
上雄柏小学校拓雄分校開校。学区は拓雄橋以南 |
昭和31.4.1 |
独立。拓雄小学校となる |
昭和33.4.1 |
拓雄中学校併設 |
昭和43.3 |
閉校 |
なお児童数は昭和26年13人、同33年45人、同34年50人。
現地では、ペペロナイ川分岐よりやや下流の右岸で学校跡を確認。ほかごく僅かだが生活の痕跡が残る。
上雄柏の方の話では、畑があったとのことなので初期の家々は農業で暮らしていたと思われる。また中雄柏・上雄柏の分家の転入もあったということなので、これは台風以降の転入者なのだろう。
※ 追記
2020年10月、当地に関するメールをいただきました。住民はほとんど戦後の入植者で、台風以降の転入者は僅かであったとのことです。また戦後の入植者には、引揚者や大阪等の道外出身者が含まれていたようです。
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