◆上雄柏(かみゆうはく)

※ この地図は、国土地理院発行の1/50,000地形図「立牛」(昭和48.3)を使用したものである
所在:滝上町オシラネップ原野(おしらねっぷげんや) 地形図:上雄柏/立牛 滝西/立牛
アクセント:カミユーハク
形態:川沿いに家屋が散在する 標高:約180m〜
訪問:2012年5月
字オシラネップ原野の中部、オシラネップ川沿いにある。
町史によると、オシラネップ原野奥地の集落の興りは掛橋氏・井口氏・山本氏(いずれも高知県の人物)が大正5年に22線付近に入植したことによる。大正13年にオシラネップ原野が4村落に分割され、そのうちの1つが上雄柏熱布(のちの上雄柏)。当時12戸。戦後にも海外からの引揚者が戦後開拓で入植した。
以下は学校の沿革。
(小学校)
昭和7.2.1 |
雄柏尋常小学校所属上雄柏特別教授場設置 |
昭和15.10.7 |
上雄柏尋常小学校となる |
昭和16.4.1 |
上雄柏国民学校と改称 |
昭和22.4.1 |
上雄柏小学校と改称 |
昭和50.3.31 |
濁川(にごりかわ)小学校に統合 |
児童数は昭和26年72人、同33年60人、同45年24人、同47年18人、同49年5人。
(中学校)
昭和22.4.1 |
上雄柏中学校開設開校(小学校に併置) |
昭和47.4.1 |
滝上中学校に名目統合。滝上中学校上雄柏校となる |
昭和48.3 |
実質統合により閉校 |
集落内では家屋が何軒か見られるが、北部(下流)を除きあまり状態が良くない。学校は既に校舎が倒潰しているが、道道近くに学校跡地の碑(写真3)が立つ。ここから少し南にある白壁の建物は、オシラネップ官設駅逓所の跡(写真9)。
現地で会った方の話によると、当地には田はなく中雄柏以北で自給用の米を作っていたという。畑ではハッカを主体にジャガイモや麦類などを栽培。冬は山仕事をして暮らしていた。集落最南端は鎌倉沢(かまくらさわ)川との合流部(拓雄橋が架かる)だが、この名称は近くに鎌倉家が暮らしていたことに由来。
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