◆大平(たいへい)
※ この地図は、国土地理院発行の1/50,000地形図「丸瀬布」(昭和48.3)を使用したものである
所在:遠軽町丸瀬布大平 地形図:丸瀬布南部/丸瀬布南部 上武利/丸瀬布南部
形態:山中の平坦地に家屋が散在する 離村の背景:本文参照
標高:約620m
訪問:2012年5月
旧丸瀬布町の西部、荒川沢(あらかわさわ)川上流部にある。
以下は町史および「角川」より。
戦後の開拓により昭和23年から同31年にかけて42戸が入植。昭和38年頃から離農者が相次ぎ、同46年11月4日、無住化
入植者は昭和23年度3戸、同27年度13戸、同28年度18戸、同29年度3戸、30年度4戸。(27年度入植者1戸は間もなく離農し後継者が入植)のべ42戸と教員4戸
土地貸付が決まっても翌年に入地したり、冬は下山したりで、実際の戸数は、昭和23年1戸、同27年18戸、同28年17戸、30年25戸、34年38戸(うち教員3戸)、38年36戸(同4戸)、42年18戸(同4戸)、46年2戸
昭和29年上水道完成。それまでは荒川沢まで汲みに行っていた
高原のため長い間雪に閉ざされ、また大雪山からの颪が強いため表土が飛ばされ農作物は限定されるうえ、収穫量も平地と比べ少ない。酪農も取り入れたが、冬期は交通が杜絶するため牛乳の輸送が支障となる
昭和38年、町による長期営農計画が立てられる。戸数の縮小と1戸当たりの農地の縮小。これにより昭和42年には15戸に減少。その後も負債の増大・後継者の流出などによって離農者が続出
離村後は通い耕作の畑地や牧野に利用された
地名は当時の北海道開発局大谷信太郎氏と村長堀重平氏にちなむ
以下は学校の沿革と児童数・生徒数の推移
(小学校)
昭和30.4.1 |
大平小学校設置。8月25日授業開始 |
昭和44.3.31 |
廃校 |
(中学校)
昭和33.4.1 |
大平中学校が大平小学校に併置。6月校舎完成 |
昭和41.3 |
丸瀬布中学校へ統合。生徒は寄宿舎へ |
(児童数・生徒数)
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昭和30 |
昭和31 |
昭和32 |
昭和33 |
昭和34 |
昭和35 |
昭和36 |
昭和37 |
昭和38 |
昭和39 |
昭和40 |
昭和41 |
昭和42 |
昭和43 |
小学校 |
33 |
29 |
34 |
32 |
32 |
36 |
33 |
35 |
29 |
28 |
24 |
18 |
11 |
2 |
中学校 |
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15 |
18 |
14 |
18 |
13 |
19 |
13 |
9 |
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現在は広大な牧草地となっており、一部に牧場施設の跡のようなものがある。地内に残る唯一の建物(集会所?)(写真6)の階段の下には「大平中学校前」の碑が立つ(写真7)。敷地内には開拓記念碑がある(写真8)。記念碑によると、年別の入植者は以下のとおり(掲載順)。
昭和23…宮崎・須藤・清水
昭和27…松田・安田・大神田・田郷・小部・佐伯・玉川・安田・温井・今野・田郷・片山・米田
昭和28…森井・長谷川・吉田・藤田・松本・宮崎・佐藤・桑原・須藤・神田・片山・杉原・坂本・片山・牧野・斉藤・上野・上野
昭和29…平山・田郷・下浦
昭和30…畠山・神田・三好・桜井
昭和31…安田
なお現在の地図では畑の記号が広がる中、北西―南東方向に帯状になった針葉樹の植生が見られる。防風のためのものだろうか。
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