◆ニニウ(ににう)
所在:占冠村ニニウ
村の南西部、鵡(む)川およびその支流沿いにある。人家は鵡川とペンケニニウ川の合流部付近に多い。 ※1 旧鬼峠は、道東自動車道の占冠トンネル付近。696.9mの三角点と南の701mの標高点の間にある鞍部。後の鬼峠は、JR石勝線の鬼峠トンネル付近。先述の三角点と北の714mの標高点の間にある鞍部 以下は当地にあった学校の沿革(廃校の情報は『占冠百年史』より)。 (小学校)
(中学校)
なお石綿鉱山の集落にも私立の新入浅野小学校(※3)があり、昭和19年開校、終戦後に閉校。村立の学校よりも設備が良かったという。閉校後は校舎の一部を湯の沢に移し、校長(植山氏)は引き続き湯の沢の初代校長となっている。 ※3 当時は国民学校令が布かれていた時期であったが、私立のため国民学校と称していない。ただし村史の湯の沢小学校の章においては「新入浅野国民学校」と表記されており、後に公立に移管した可能性もある 『占冠百年史』によると、昭和35年48戸333人、同45年76戸477人、同55年40戸44人、平成2年1戸2人、同12年4戸5人。昭和41年8月14日電気導入。過疎化が進んだ昭和50年代初頭より、離農後の遊休地等を活用すべく「ニニウ自然の国」の構想が生まれた。これは一帯の豊かな自然環境に親しみながら、交流や野外活動の場を設けるといったもの。構想が本格的なものとなる以前から、昭和51年には学校跡に林間学校が開設された。刊行(平成18年)の頃の主な施設は、サイクリングターミナル(昭和59年開業。食事・入浴・宿泊もできる)・遊歩道・多目的運動広場・体験農園・キャンプ場(昭和61年完成)・サイクリングロード。 訪問は道道にて市街地方面より。集落に入ると、かつては農家が散居していたと思われる広い平坦地が広がる。「学童農園」や「フラワー園 ハーブ園」といった看板が見られるが、現在は規模を縮小?しているニニウ自然の国の名残であるよう(写真1・2)。同地には生活の痕跡がいくらか確認できるが、人家の類はない。道道と林道の分岐にはニニウ駅逓跡の碑が建ち(写真8)、説明によると初代取扱者は小林昇之助氏、二代目は三船留七氏とのこと。さらに付近にはニニウ自然の国の看板とサイクリングターミナルがある(現在業務は停止)。ここにある絵地図には学校跡が「林間学校」の施設として描かれており、後で知るところでは最近まで旧校舎が残されていたよう(訪問時は撤去済み。写真13)。左岸のキャンプ場は道東自動車道の完成に合わせたものか、全体的に改修されたような雰囲気がある。ペンケニニウ川沿いには生活感のある家屋があり、これは在住世帯。 |
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![]() 写真1 「学童農園」 |
![]() 写真2 「ニニウ自然の国 フラワー園/ハーブ園」 |
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![]() 写真3 屋敷跡のポンプ |
![]() 写真4 倒潰家屋 |
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![]() 写真5 小屋 |
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![]() 写真7 農地跡。新しい植林地 |
![]() 写真8 駅逓跡 |
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![]() 写真9 サイクリングターミナル |
![]() 写真10 ニニウ自然の国絵地図 |
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![]() 写真11 小祠 |
![]() 写真12 平坦地(ペンケニニウ川沿い) |
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![]() 写真13 校門より学校跡地を見る |
![]() 写真14 キャンプ場管理棟 |