◆下トマム(しもとまむ)
所在:占冠村下トマム
村の北部、鵡(む)川およびその支流沿いにある。
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≪第一≫
一線沢川との合流部付近から、学校付近までの街区。郵便局や神社(琴平神社?)があったよう。村史刊行(昭和38年)の頃の居住世帯は、山田・工藤・八木・三谷・安井・石上・松本・高橋・菅原・得能・小岩・小林・大橋・上村・高橋・山田・丸山・柴野・山岡の各家。
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写真1 駅逓跡 |
写真2 道道沿い風景 |
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写真3 神社・参道 |
写真4 神社・社殿 |
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写真5 広い平坦地 |
写真6 歌碑と牧場 |
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写真7 道と牧草地 (以下一線沢〔秋田団体〕) |
写真8 牧草地と小屋 |
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写真9 集落風景。右は一線沢川 |
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≪第二≫
第一集落より上流側の街区。以下は学校の沿革。 (小学校)
(中学校)
村史刊行(昭和38年)の頃の居住世帯は、河村・竹森・工藤・吉田・竹森・山・松本・西崎・西崎・鈴木・村上・馬場・伊藤・前寺・田中・六車・瀬沼・吉田・対馬・神戸・鈴木・岩出・太田・長谷田・中元・船越・丸山・三谷・佐藤の各家。 トマム3線バス停(写真11)より三線沢川(青森団体の沢川)沿いの道に入ると、現住ほかいくらかの家屋が見られる。道道沿いにも数戸の家屋が見られるが、これらは常住ではないよう。学校跡は未確認。旧青森団体は手前にゲートがあったため未確認だが、広く牧草地になっていると思われる。
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写真10 道道沿いの風景 |
写真11 バス停 |
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写真12 宅地跡入口? |
写真13 道道と家屋 |
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写真14 青森団体入口付近 |
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≪第三≫
鵡川に沿って字の西端から、一線沢川の合流部より手前付近までの街区。主として戦後の開拓者の入地によって発達した。村史刊行(昭和38年)の頃の居住世帯は、三浦・保科・六車・工藤・小岩・菅原・高野・得能・高橋・千代窪・菅原の各家。
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◆◆写真はありません◆◆
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≪ホロカトマム≫
鵡川支流、ポロカトマム川沿いの街区。昭和初期から2戸の農家があったが、戦後8戸の開拓者が入植。 村史刊行(昭和38年)の頃の居住世帯は、太田・桜井・田中・荒川・安彦・秋庭・柴野・小橋・飯塚の各家。ただし別の記述では10戸54人とあり、このうち9戸は農家。冬期は出稼ぎによって生計を立てていたとのこと。全戸無灯火であった。また下苫鵡小学校ホロカ分校は、昭和30年1月20日開校、同45年廃校。
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写真15 道道分岐付近から奥を望む |
写真16 集落風景 |
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写真17 学校付近? |
写真18 宅地跡入口? |
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写真19 写真18にて |
写真20 牧草地 |