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◆豊平(とよひら)



※ この地図は、国土地理院発行の1/50,000地形図「恵比島」(昭和45.3)を使用したものである

在:留萌市留萌村(るもいむら)
地形図:幌糠/恵比島
形態:川沿いに家屋が散在する
標高:70m前後
訪問:2012年6

 

 大字留萌村の東部、留萌川上流部の川沿いにある。川沿いの道路は道道613号線。
 
市史によると、昭和21年5月、地元の農家の分家を中心に入植開始。初めは実家からの通い農業であったが、やがて掘立小屋を建てて生活。ジャガイモ・イナキビ・トウモロコシを主に栽培。昭和23年水稲、同25年陸稲を試作し、やがて作付が安定。稲作の傍ら、畑で換金用の豆類と自家用野菜を栽培。養鶏も行われ、昭和42年には6戸が飼育。昭和29年、市の工業用地買収計画(豊平炭礦関連)で3戸が転出。冬期の馬搬が収入源となる。昭和40年代、米の減反政策や負債の返還条件の緩和により、戦後開拓は一気に終熄へ向かう。昭和46年7月、最後の1軒が転出して無住となった。同じく戦後の開拓地であった豊別と比較し開拓が順調に進められたのは、肥沃な土地・実家からの援助・農業経験などの有利さがあったため。
 なお豊平炭礦は、昭和28年高根炭鉱株式会社(芦別市)により豊平鉱業所として開業し、翌29年より生産が開始された。同年9月職員住宅2棟4戸、鉱員住宅2棟8戸完成。昭和30年4月、留萌豊平炭鉱株式会社を設立。北海道炭鉱汽船からの鉱区の譲渡を受け、本格的な採炭を開始。昭和45年閉山。
 以下は学校の沿革。

 昭和29?  炭鉱住宅の一部において、峠下(とうげした)小学校からの出張授業開始
 昭和29.12  峠下小学校豊平分校設置認可
 昭和34.4  独立。豊平小学校となる
 昭和46.8.31  閉校

 訪問は豊平1号橋付近まで。炭礦関連の名残は見えず、広い農地跡が農村であったころの面影を残す。往時の人家の痕跡もなく、学校跡も特定できず。

 


写真1 道道と標識

写真2 農地跡

写真3 農地跡

写真4 学校跡?

写真5 農業用の車輛

 

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