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◆豊別(とよべつ)



※ この地図は、国土地理院発行の1/50,000地形図「恵比島」(昭和45.3)を使用したものである

在:留萌市中幌糠町(なかほろぬかまち)
地形図:ポロシリ山/恵比島
形態:川沿いに家屋が散らばる
離村の背景:減反政策など

標高:約50m(水面は約60m)
訪問:2012年6

 

 字中幌糠町の中部、中幌糠川と豊別川の合流部付近にある。一部は中幌糠ダムにより水没。
 市史によると現在の中幌糠ダムより奥が豊別開拓地。大正から昭和にかけて入植者がいたが、成功せず離農を余儀なくされたという。
昭和21年3月、大阪出身者を中心に再び入植開始。初めは自給用のジャガイモ・カボチャ・大豆・小豆・ソバを栽培。造林や造材山の仕事で現金収入を得ていたが、なお不足していた。同24年(当時13戸)酪農を試みるが、冬期の出荷が困難であり、畑作主体へ。養豚もうまくいかず、小規模にとどまる。やがて稲作が奨励され、昭和30年頃から灌漑施設を設けるなど力を入れた。
畑作は販売可能な水準に達せず、自家用にとどまる。ソバは連作すると土壌が悪くなるので、イナキビの作付けが増えた。そもそも
強酸性土壌・山に囲まれていることによる気温上昇の遅さ・農業の不慣れなど、開墾には苛酷な条件であった。同じく戦後の開拓地であった豊平と比較し開拓が不順であったのはそのため。昭和40年代、米の減反政策や負債の返還条件の緩和により、戦後開拓は一気に終熄へ向かう。離農後、ダイコン栽培の試みもあったが、食害などで続かなかった。
 昭和47年中幌糠防災ダム用地に買収され、同61年に完成。

 訪問は中幌糠ダム付近のみ。水位が低いためか古い橋が姿を現していたが、屋敷跡は分からず。湖畔には平坦地が多く見られたが、これらは農地跡か。

 


写真1 ダム堰堤

写真2 ダム湖

写真3 橋

写真4 湖畔の平坦地

写真5 湖畔の平坦地

 

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