◆上物満内(かみものまない)

※ この地図は、大日本帝国陸地測量部発行の1/50,000地形図「譽平」(昭和5.4)を使用したものである
所在:音威子府村物満内 地形図:筬島/天塩中川
形態:川沿いに家屋が散在する 標高:6、70m
訪問:2012年6月
村の南西部、字物満内の南部にある。物満内川沿い。
村史によると、明治43年頃から開拓者が入地。境谷・藤原・菅原ら諸氏8戸が入植し、ハッカを栽培。砂金採取に従事していた家もあった。戦中は食糧増産のため米や芋などに転作。一時は十数戸が暮らしていたが、交通が不便で農産物の出荷も困難、自然環境も厳しかったため、昭和16年頃までに満洲等へ移住、無住になった。戦後は開拓地として選定され移住があり、戸数が増え分校も開校。しかし学校が物満内移転した昭和36年の時点では既に無住となっている。
現地には道に沿って農地跡が見られるのみ。
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