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◆神路(かみじ)



※ この地図は、大日本帝国陸地測量部発行の1/50,000地形図「譽平」(昭和5.4)を使用したものである

在:中川町神路
地形図:筬島/天塩中川
形態:川沿いに家屋が集まる
離村の背景:最終は橋の崩落
標高:約20m
訪問:2012年6

 

 町の中東部、天塩(てしお)川右岸にある
 以下は
町史および「角川」の記述。

元々は北大演習林の殖民地。林業労務者の確保と山火事防止のための整備を目的として、大正8年頃から貸付が始まり、大正末期には7戸が入植。その後も人口が増加
大正11年11月8日、天塩線(当時)神路駅設置。官舎も建つ等、駅を中心に人家の移動もあって集落の基礎ができる。この際幌萌地区の住民が全戸駅周辺に転入
戦後の入植者は昭和29年10戸、同30年1戸、同33年1戸
町内の大和昭和37年の台風9号・10号のため道の「災害激甚農家移転対策実施要領」に基づき集団移転することに伴い、当集落の農家も対象となる。開拓者2戸が離農、駅寄りに農家1戸と鉄道関係職員11人となる
昭和38年5月神路大橋が完成したが、12月18日落橋(※)
昭和40年無人となる

以下は学校の沿革。学区は神路一円。

 大正7.6.3  公立ホロムイ特別教授所設立認可(幌萌
 大正12.2.18  教授場廃止。鉄道で佐久(さく)小学校へ通学
 昭和25.12.4  国鉄物置を改修し授業再開(無認可)。教員は佐久小学校から出張
 昭和26.1

 佐久小学校へ通学

 昭和26.8

 佐久小学校神路分校開校
 昭和27.4.1  独立。神路小学校となる
 昭和40.6.30  廃校

 付近の筬島(おさしま)で伺った話では、集落には畑があり、貨車で作物を出荷。田はなかった。神路大橋は二輪車が通れるくらいの橋梁であったが、強風により完成から3年ほどで落下(※)。これがきっかけとなり無住となったという。

 元来渡船か鉄道のみのアクセスであったため、橋が落ち駅も廃された現在交通は遮断。通常では集落に訪れることはできない。地図を見る限り、筬島から林道?を伝い、大きく迂回し集落の近辺まで出られるようではある。

※ 町史と地元の話とでは齟齬がある

 


写真 集落遠景(対岸の平地)

 

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