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◆正修(せいしゅう)



※ この地図は、国土地理院発行の1/50,000地形図「初山別」(昭和46.10)および同「築別炭砿」(昭和48.3)を使用したものである

在:遠別町正修
地形図:大成/初山別 正修/天塩有明
異表記:聖修(旧称)
形態:川沿いに家屋が散在する
離村の背景:減反政策
標高:約120〜170m
訪問:2012年6

 

 町の南部、遠別川上流部にある
 以下は町史および「角川」より

最初の入植者は杉村・堤・柿谷・柳井各氏。大正3年とされる。大正14年11戸をもって「聖修」集落が誕生。ジャガイモを主として稗・粟・イナキビ・米などを栽培。商品作物として、菜種や短期栽培の除虫菊・ハッカなど
大正8年水田を試作
住民の多くは春はニシン場・夏は農業・秋は中川町佐久(さく)のハッカ場へ出稼ぎ・冬は狩猟と造材山の労働で生計を立てていた。
昭和14年字名を「正修」に改称。「村内ヲ通シ有識階級ノモノ多キトコロヨリ「ヒジリ」ヲ修ムルガ字句解シ難ク「聖修」ヲ「正修」に改メタルニ過ギズ」
昭和40年頃、米の生産調整により多くの住民が転居。昭和43年10月31日集落解散
昭和9年43戸、同10年代28戸、同26年10戸58人

(学校の沿革)
 大正15.4.1  中央遠別尋常小学校所属の教育所として開設
 昭和9.4.12  聖修尋常小学校となる
 昭和16.4.1  正修国民学校と改称
 昭和22.4  正修小学校と改称
 昭和38.4  正修中学校併設

 昭和43.10.31

 廃止

(児童数・生徒数の推移)
  昭和30 昭和31 昭和32 昭和33 昭和34 昭和35 昭和36 昭和37 昭和38 昭和39 昭和40 昭和41 昭和42 昭和43

小学校

6 7 8 6 7 8 9 9 8 7 6 7 6 3
中学校                 4 4 4 2 3 1

 集落に家屋はいっさい残っておらず、屋敷跡の特定もできないほど自然に同化している。学校跡?(写真4)も雰囲気で判断したに過ぎない。なお「角川」によると「正修小学校跡の碑が立つ」とのことだが、これは見つからなかった。

 


写真1 地名表示

写真2 平坦地

写真3 平坦地

写真4 道と平坦地

写真5 写真4にて

 

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