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継桜王子社から約100メ−トル東の道端にある大きな桜が「秀衡桜」です。 |
乳岩と秀衡桜(民話) 奥州平泉の藤原秀衡は40歳を過ぎても子どもに恵まれないので、熊野権現へ17日の参篭をして願をかけた。その願はかなえられて妻はみごもり月日は流れて7ヶ月となった。 熊野権現のあらたかな霊験で懐妊したので、そのお礼詣りにと、妻と共に旅立ち永の旅路を重ねようやく滝尻に着き、ここの王子社に参詣したところ未だ臨月に達しないうちに産気を催し、不思議にも五大王子が現れて「この山上に胎内くぐりとて大きな岩屋がある。汝只今いそぎそこで産されよその子はそこに預けて熊野へ参詣せよ」とのお告げがあった。 そこで岩屋で子どもを生みそのまま寝かせておき熊野へと急いだ。 途中野中で手折りにした桜の杖を地にさし「参詣の帰り途この杖に花が咲いていたら無事なり」と立願して本宮へ急ぎ、熊野大権現を拝礼し、すぐ下向して野中に着き桜の杖を見ると、花はいきいきとして香盛んであった。 さてはわが子も無事であろうと滝尻の岩屋へと急いでみると、子どもは一匹の狼に守られ岩から白くしたたる乳を飲んで丸々とこえていた(この子が後の藤原忠衡である)。 これこそ神のお救い、何とかしてご恩を報いたいものと後に七堂伽藍を造営して諸経や武具を堂中に納めた。 これを秀衡堂とも七堂伽藍とも言ったが、天正の兵乱にこわされ今では記録さえ残っていない。秀衡はその伽藍の維持費として黄金を壷に入れ近くに埋めたと伝えられている。 この岩屋は乳岩と呼ばれ深さ6メートル横4メートルぐらいであり、腹這いでくぐり抜けることができる。乳の少ない婦人が詣るとご利益があるという。 また秀衡がさしたと言う桜は「野中の秀衡桜」といわれ現在のは二代目か三代目らしいが、桜のそばに「奥州秀衡二代の桜」と刻まれた石柱が当時を物語るようにたっている。 |