『熊楠研究』第八号

編集後記

◇『熊楠研究』は今号をもって終了します。 ◇本誌第一号は、学術振興会科学研究費「南方熊楠資料の連関的研究」(平成十二〜十五年度)の報告書としてまとめられたものでした。その後、田辺市の協力で年刊で八号まで出すことができました。関係の方々にあらためて御礼を申し上げます。 ◇編集委員他の運営は、おもに南方熊楠邸資料調査メンバーが担当してきました。熊楠の長女文枝さんが亡くなった後、南方邸と膨大な邸内資料は田辺市に遺贈されました。本誌はその資料調査の成果を発表する媒体という位置づけももつものでした。 ◇その南方旧邸の隣地には南方熊楠顕彰館が建築され、本年五月の開館を待つばかりとなっています。邸から顕彰館に移管された資料は、開館後は一般に公開する体制が整えられることとなります。 ◇大部分が未調査の南方邸資料の翻刻・出版の仕事は、顕彰館に引き継がれます。その一方で、多様な分野の研究者、特に今後を担う若い世代に自由に執筆してもらえるような、開かれた学術誌の創刊を模索していきたいとも考えています。各方面からのお力添えをお願いいたします。(松居)

◇学術会議の構成がいつの間にか、人文学と社会科学をひと括りにし、自然科学・生命科学との三部門に再編成されてしまった。人文学の肩身がますます狭くなっている昨今の状況を見るにつけて、人文学の側から自然学や生命学へ積極的に渡りをつけ、横断的な学の地平を開拓する必要があるのではないか。 ◇その絶好の指針が熊楠にほかならない。熊楠のテーマは一貫して生命にそそがれ、それが多種多様な学問への架橋を必然としたのだろう。田辺の熊楠センターを拠点に、あらたな学の再生を模索できればと祈念している。(小峯)

◇今はともかく自分の調査参加以来の足かけ十三年、本誌刊行以来の八年にわたる年月が意外に長かったという思いでいます。当初考えていたよりも、盛りだくさんの内容がつめこまれたという気持がする半面、自分の関係ではまだ中途半端のまま終わったことが気になっています。 ◇五月の開館までには、わたし個人の熊楠に関係する仕事も一区切りつく予定で、今後は東京の翻字の会だけのつきあいという形になります。(飯倉)

◇酒を飲み、肩をいからせ、口を尖らせて、しゃべっていた。突然、美女二人が「変わっていない」と笑いだした。「研究しているんじゃない。ただ、熊楠的なのさ」聞こえない声でうそぶいた。外はまだ、寒い。暗闇の天空から雨粒がおちてきた。(原田)

◇南方邸所蔵資料を中心とする未紹介文書の翻刻・紹介は、本誌の重要な柱だった。 ◇いったん公刊された翻刻資料は、仮に誤りがあってもそのまま流布し続け、撤回は難しい。そのため、毎号の新資料紹介については、編集部でも可能な限り原資料再確認を行い、万全を期してきた。誤りの少ない資料紹介のため、この作業にご尽力いただいて本誌を陰から支えて下さったみなさまに、あらためて感謝申し上げたい。 ◇田辺市・南方熊楠顕彰会では、「南方邸資料叢書」として、一次資料翻刻・公刊事業を続けていただけるそうである。順調な発展を願うとともに、引き続き多方面からのご支援をいただけるよう、お願い申し上げます。(田村)

◇毎年、この時期は山猫印刷所への通りの桜並木が楽しみでした。つぼみ、四分咲きと違いはあれ、校了の時期はいつも桜と結びついていまたから。さて、今号で終わりとなると、一抹の寂しさが湧いてきます。ならば憂いを払う酒もがな。いつにも増して面倒な組版をこなしていただいた印刷、および製本関係の皆さまに、改めて御礼申し上げます。(古谷)

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