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皆地いきものふれあいの里(東牟婁郡本宮町皆地)
これは、すぐれた自然のあったところを壊してしまったというとんでもない
事例である。それも、ビオトープ作りを目指しての工事であっただけに、
問題が大きい。しかも、その後の変化がちょっと驚くくらいに大きかった。
少しくわしく書いておきたい。
- かつてのふけ田
皆地という地区で湿田が放棄されて、気がつくと生物の宝庫のような湿地が
復活していたのがわかったのは1970年代後半のことになる。地元の先生方の
調査により、タガメやゲンゴロウ、ハッチョウトンボなど名だたる珍種が
ぞろぞろ生息する夢の湿地帯になっていることが判明したのである。
筆者は今の設備の建設が行われるより少し前のふけ田を一度見たことがある。
草だらけのあぜ道から、水田だったところの中へ少し踏み込むと、水に
浸った草の根もとの枯れ葉の間から、コオイムシ(オオコオイムシ?)の
幼虫がぞろぞろ逃げ出すのが見られた。タガメやゲンゴロウを見ることは
できなかったが、中央を突っ切る形の水路の周りでは羽化したばかりの
サナエトンボ類がいっぱいとまっていて、生物相の豊かであることが
実感できた。ここを利用しての観察会も活発に行われていて、すでにりっぱな
ビオトープになっていたわけである。
しかしながら、湿地はやがて陸化する。ふけ田でも水面が狭くなってきた。
そこで、いっそのこと自然観察のための施設として整備をしようということ
になったらしい。そこで専門の業者によってビオトープとしての整備事業が
行われた。
- 整備事業の概要
行われた工事は、大ざっぱにいうと以下のようなものである。
1;湿地のあちこちを若干掘り下げ、その泥で島をつくった。
2;中央水路に浄化設備をつくった。
3;あぜ道を幅広くしっかりしたものにした。
4;湿地の上をわたれる板橋を設置した。
5;解説板および周辺の遊歩道、施設の整備した。
これらの工事は一見すると問題がなさそうだが、いろいろな問題を含んでいる。
1;の掘り下げは必要な作業であろう。ただし程度の問題はあるとおもう。
一度に大面積でやるのはまずいだろう。何年かにわたって場所を変えながら
行うような配慮があってもよかったのではないかと思う。
2;は疑問である。もともと生活排水は流入していてそれでもあれだけの生物は
住んでいたのであるから、必ずしも必要なかったのではないか。
水質浄化というのは、自然界の生物の生活の結果なので、別に切り離して
考える発想はそもそもおかしいのである。
また、木炭を沈めて水質浄化するなんていう話もあったが、これは
全然だめだと思う。おそらく沈める作業の段階で出た泥だけで詰まって
しまうのが関の山である。そうでなくてもいずれは泥がたまって詰まって
しまうに決まっている。そのときには入れ替えをやるというのだろうか。
恐らく、これは庭園に人工の池を作るような発想でなされたのではないか
と思う。
3;はもっとも大きな問題である。これによって水路と湿地とは分断されて
しまった。ふけ田で配られているパンフレットにも水路と湿地を区切って
いるあぜ道を越えて水が行き来することが図示されていて、それがふけ田の
大きな特徴であることを示している。もとの畦にはたしかにそれがあった。
ところが幅広く改修されたあぜ道は水路と湿地の仕切りになってしまい、
水の行き来はほとんどないように思われる。畦の雑草の種類が湿地植物から
道ばたの雑草に変わっているのがそれを示している。
また、先の水質浄化施設とともに、元々あった水路の底を完全に壊して
しまった。ふけ田に見られた生物の中には、この水路に直接に依存して
いたものがかなりいたはずである。特に流水生のトンボなど、この流れ
から発生していたはずだ。
4;は便利なものだが、多すぎるように思う。これは好みの問題もあるが、
板橋だけでほとんどどこへでも行けるようだと、直に湿地に入るのが
おっくうになる。子供を泥んこにするには向かない。
5;についてはこれも好みの問題だが、あちこちに並ぶ解説板はうっとおしい。
特に、表示されている生物の半分ぐらいは今では見られないのだから、
なおさらである。
それやこれやで、よくない整備事業だ、これでふけ田はだめになるかも、
という声も聞いてはいた。
- その後の経過
実際に起きたのは予想をはるかに超える事態であった。
工事は1995年に完成したようだ。その翌年頃、筆者が工事の後の
ふけ田で見たものは、ほとんど砂漠のような光景だった。湿地植物はあるが、
水面から見えるのは茶色の泥ばかり。トンボも飛んでいない。草の根元を
探ってみたが、何も出てこない。メダカとアメリカザリガニはいたと思うが。
大きな工事でひどいことになったとは聞いていたが、これほどとは思わな
かった。
ただ、ここでわからないのは、なぜ、これほどまでに何もかも
いなくなってしまうかである。何より、あれだけたくさんいたコオイムシ
などが、完全にいなくなっているのが不思議だった。大きな工事をした
のだから、いろいろな生き物が減ったりいなくなっても不思議はない。
しかし、湿地すべてを完全にひっくり返したわけではないのだから、
隅っこには何かしら生き残っていて不思議はない。ところが、見たところ
生き残っているものは全くないようだった。つまり、減少ではなく消滅が
起きたのである。
とにかくも工事によって痛めつけられたとはいえ、湿地そのものは
残っているのだから、完全に元通りにはならないにしても、それなりに
いろいろな生き物の住む湿地として回復するのは当然だろうというのが
その時の感想だった。田辺でのビオトープ建設でも、水の入った池を
つくるだけで1年も待たずにカエルやミズカマキリが多数集まってき
ている。ここは田辺よりはるかによい自然に囲まれているし、近くには
小さな池もある。2年もたてばそのような昆虫やカエルが多数生息する
湿地になるものと思っていた。
ところが、さらに3年後の1999年に見学したときも、状況はほとんど
変わっていなかった。水中にはメダカとアメリカザリガニ以外に目に付く
動物はいない。また、飛んでいるトンボもほとんどいない。これだけ
時間がたてば、工事現場の水たまりにだって、もう少し多い種類数の動物が
出現してよいはずだ。特にカエルは、近所にいくらでもいるはずだし、
水があればすぐ産卵にくるし、オタマジャクシは目につきやすい。いない
はずがないと思って探したが、やはり見つからない。何か理由があるはずだ
と思った。
管理の方に伺うと、春にはカエルの卵が見られるが、オタマジャクシはいない
という。となれば、何者かが卵やオタマジャクシを食っている可能性が高い。
犯人の有力候補は、アメリカザリガニである。とにかく大変な個体数になって
いる。ここから考えられる一つのシナリオとして、まず、工事によって、
広くて荒らされた水域がつくられ、工事の被害でほかの動物がいなくなった
中で、アメリカザリガニは生き残り、生き残ったほかの動物を食いながら
水域を占有するに至った、というものが思い浮かぶ。たいして説明に
なっているとも思わないが、しかし、一度アメリカザリガニが占有するや、
入ろうとするカエルやトンボのやごは、すべてアメリカザリガニの餌になった、
と考えるしかしかたがない。
とにかく、あまりにも回復が遅い、あるいは回復しないのかもしれないという
恐れすらある。これほどの状況は、だれも想像しなかったはずだ。
- 現状と展望
2001年になって、管理側もついにザリガニを敵とみなして駆除をはじめた
ようだ。それがどの様な結果をもたらすかはわからないが、捕まえる、という
だけで、根絶するのは難しい。しかも、湿地植物が密生した、入り組んだ
ところの多い湿地ではなおさらである。
2001年8月に見に行ったところ、シオカラトンボのほかに、わずかに
イトトンボ類が見られた。また、カエルも出現しているという話は聞いた
(掲示板に書いてあった)ので、わずかながら回復しているのかもしれない。
というより、回復してほしいと思う。この地域ではごく稀にタガメが灯火に
飛来することもあると聞く。だから、そのような生物も復活する可能性は
あると思う(もっと早く復活すると思っていたが)。しかしながら、
オオコオイムシは本県ではここが唯一の産地だったらしいので、これは
永遠に失われた可能性がある。
とにかく、この整備事業は大変な失敗だった。それ以前にすんでいた
ふけ田の誇るべき生物はあらかた失われ、今も戻っていない。にも
かかわらず、パンフレットにはそれらが載っていて、堂々と配付され
ている。それどころか、この整備事業そのものが、優れた造園計画の
作品例としてインターネット上で堂々と展示されている。
いったい、この連中は今のふけ田をどう考えているのか、
そもそもこの計画を作った人々は今のふけ田を見ているのか?
いま、ふけ田を一生懸命復活させるべく努力している人達の存在を
感じるだけに、大変に残念な事例である。
(2001年9月)
参考文献
自然観察ガイド 湿地皆地のふけた,和歌山県商工労働部観光課・本宮町編著,1995
本宮町皆地(和歌山県)の”ふけ田”から,乾風登,1994,くろしお,No13,p35-36.
タガメの主張,後藤伸,1994,くろしお,No.13,p40-42
こんな教訓が得られるのではなかろうか?
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