◆中山(なかやま)
※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「中甑」(昭和26.12)を使用したものである
所在:薩摩川内市鹿島町藺牟田(かしまちょういむた) 地形図:青瀬/手打
アクセント:ナカヤマ
形態:海岸沿いに家屋が集まる 標高:数m
訪問:2012年1月
村の東部海岸付近にある。現在は集落の外れに水産会社のクルマエビ養殖場がある。
村郷土史によると、集落の興りは明治35年2月。中野家(後述のNo.20)が入植したことに始まる。昭和6年頃16戸、同24年頃22戸。戦後は他から引揚者の転入があったり、分家が増えたりした。その後5、6戸の増加があったが、30年代に入ると次第に離村が進む(藺牟田等へ転出)。昭和55年11戸17人。開墾した畑で甘藷や雑穀を作ったり、漁撈を行ったりして暮らしていたという。
以下は同書より昭和30年の各戸の様子(番号は当方による)。No.1-17は沼から少し離れた西側、18-27は沼の東近辺に集まっている。
番号 |
姓 |
備考 |
1 |
梶原 |
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2 |
〃 |
明治38年転入 |
3 |
橋野 |
明治40年中村家が転入 |
4 |
梶原 |
明治40年転入 |
5 |
中野 |
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6 |
― |
明治38年尾崎家が転入 |
7 |
尾崎 |
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8 |
橋野 |
昭和初め転入 |
9 |
尾崎 |
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10 |
田畑 |
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11 |
小村 |
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12 |
梶原 |
大正3年林川原より中野家が転入 |
13 |
小村 |
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14 |
橋野 |
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15 |
小村 |
大正12年中野浦より転入 |
16 |
〃 |
〃 |
17 |
中野 |
〃 |
18 |
〃 |
明治37年橋野家が転入(翌年藺牟田へ)。同40年柳川家が転入(数年後川内市へ)。大正7年頃中野家が転入 |
19 |
田畑 |
明治37年転入 |
20 |
― |
明治35年中野家が藺牟田より移住 |
21 |
― |
明治38年田畑家が転入 |
22 |
中野 |
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23 |
〃 |
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24 |
高島 |
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25 |
中野 |
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26 |
小村 |
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27 |
橋野 |
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28 |
中野 |
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集落へは養殖場に通じる車道があるため、訪問は容易。また県道沿いには集落跡を示す看板、集落内には往時の様子を記した案内板が立つ(写真2・3)。多数の世帯があったにもかかわらず、確認できた屋敷跡は数箇所のみであった。
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