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◆高川(こうがわ)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「出水」(昭和27.6)を使用したものである

在:出水市下大川内(しもおおかわうち)
地形図:宮之元
/出水
形態:谷沿いに家屋が集まる
離村の背景:ダム建設
標高:約80m(水面は約90m)
訪問:2014年8

 

 大字下大川内の中部、高川川およびその支流沿いにある。現在は高川ダムの湛水に伴い水没。
 現地の記念碑によると第一から第四の班に細分されるようだが、それらの位置関係は情報がなく不明。なお地図画像にある「把蕉」については、市郷土史の「小字図」において字「芭蕉」が確認できる(地形図は誤植か)。以下は現地にある「ふるさとの碑」(昭和51年。写真2)より。

 ふるさとを去るに

 高川、平瀬渡の由来は 文禄三年 西歴(原文ママ)一五九四年 時の石田三成検地の際『六八石カウ川村』と記されてより三八二年 永い歴史を持つ由緒ある地であった。
 われわれ八五世帯の移転者と地権者にとって 祖先伝来の土地を捨て、先祖の骨を拾って見知らぬ土地に移り住む苦労ははかり知れないものであったが、
さして私共は反対もしなかった。
 その理由は 真に出水平野の発展を念じ 農業水利の重要性を理解して、あえて犠牲になったのであり そのことを末代に伝えるため、ここにふるさとの碑を建て、記したのである

 またかつての世帯は以下のとおり。

・第一班…武下3・大野2・窪田2、赤崎・田良島・徳留・中原・肥田木・山下が各1の計13
・第二班…中原4・生駒2・川内2、池上・伊地知・尾崎・田尻・野田・花里・日高・米澤が各1の計16
・第三班…田島5・米澤4・中原3・吉田3・徳留2・西牟田2・山崎2、高田・谷添が各1の計23
・第四班…西牟田5、有水・松岡・米澤が各1の計8

 また市郷土史の戦歿者名簿には、このほか米沢・栗野・佐原といった名も見られる。なお水没世帯の多くは大野原地区や太田原地区(※)へと移住したとのこと。ダムは昭和45年着工、同48年完成。

 ダム堰堤に近い場所では完全に水没しているが、上流部では満水時でも複数の屋敷跡が確認できる。特に高川川と支流を結ぶ小さな鞍部付近には、植林地の中に屋敷跡の流し台や浴室等の遺構が多数残されている(写真10-16)。松之口橋の袂には憩いの広場(写真5)が設けられているが、ここにある井戸はかつての生活で使われていたものだろう。

※ 大野原は市内の大野原町(おおのはらちょう)と思われるが、太田原については不明

 


写真1 高川ダム
※ 以下掲載する写真には平瀬渡が含まれている可能性がある

写真2 碑

写真3 湖岸の平坦地(以下左岸)

写真4 屋敷跡から湖面を望む

写真5 遊具のある広場(以下右岸)

写真6 写真5敷地の井戸

写真7 石仏

写真8 井戸の跡?

写真9 道と石垣

写真10 道と石垣(以下鞍部付近)

写真11 広い平坦地(農地跡?)

写真12 流し台と浴室跡

写真13 流し台

写真14 浴室跡

写真15 流し台

写真16 流し台

写真17 浴室跡(以下高川川沿い)

写真18 流し台

写真19 浴室跡

写真20 竈

 

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