◆高川(こうがわ)
所在:出水市下大川内(しもおおかわうち)
大字下大川内の中部、高川川(こうがわ-がわ)およびその支流沿いにある。現在は高川ダムの湛水に伴い水没。
高川、平瀬渡の由来は 文禄三年 西歴(※原文ママ)一五九四年 時の石田三成検地の際『六八石カウ川村』と記されてより三八二年 永い歴史を持つ由緒ある地であった。
・第一班…武下3・大野2・窪田2、赤崎・田良島・徳留・中原・肥田木・山下が各1の計13 また市郷土史の戦歿者名簿には、このほか米沢・栗野・佐原といった名も見られる。なお水没世帯の多くは大野原地区や太田原地区(※)へと移住したとのこと。ダムは昭和45年着工、同48年完成。 ダム堰堤に近い場所では完全に水没しているが、上流部では満水時でも複数の屋敷跡が確認できる。特に高川川と支流を結ぶ小さな鞍部付近には、植林地の中に屋敷跡の流し台や浴室等の遺構が多数残されている(写真10-16)。松之口橋の袂には憩いの広場(写真5)が設けられているが、ここにある井戸はかつての生活で使われていたものだろう。 ※ 大野原は市内の大野原町(おおのはらちょう)と思われるが、太田原については不明
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写真1 高川ダム ※ 以下、掲載する写真には平瀬渡が含まれている可能性がある |
写真2 碑 |
写真3 湖岸の平坦地(以下左岸) |
写真4 屋敷跡から湖面を望む |
写真5 遊具のある広場(以下右岸) |
写真6 写真5敷地の井戸 |
写真7 石仏 |
写真8 井戸の跡? |
写真9 道と石垣 |
写真10 道と石垣(以下鞍部付近) |
写真11 広い平坦地(農地跡?) |
写真12 流し台と浴室跡 |
写真13 流し台 |
写真14 浴室跡 |
写真15 流し台 |
写真16 流し台 |
写真17 浴室跡(以下高川川沿い) |
写真18 流し台 |
写真19 浴室跡 |
写真20 竈 |