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◆尾股(おまた)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「須木」(昭和29.11)を使用したものである

在:西米良村村所(むらしょ)
地形図:田代ヶ八重
/須木 槻木/村所
形態:川沿いに家屋が集まる
標高:約400m〜
訪問:2013年8

 

 大字村所の南部、尾股川沿いにある。
 後述の碑文にあるように、林業により栄えた集落であるよう。最近の地図でも地名とやや大型の建物が記されているが、この建物はかつての小中学校の校舎。現在は一部が倉庫として利用されている。ここから1.4kmほど遡った志利那志(しりなし)谷との合流部付近にも家屋群があり、林業会社の駐勤所(写真6)も置かれている。またここには「創業記念碑」(写真8)があり、集落の経緯が刻まれている。さらにここから2kmくらい上流でも、左岸に集合住宅のような廃屋が残されていた(写真10)。訪問時は国道沿いの目立った場所しか見なかったが、これ以外にも尾股川沿いやその支流に施設等が散在していたよう。
 以下は碑の全文。

尾股ハ大字村所に属シ明治中年迄全域十二戸住民ノ所有タリモ漸次他ニ轉居シ当創業ノ時ハ一戸存セシノミ而シテコノ希有ノ大原始林三千町歩ハ竹内義夫氏ノ厚キ盡力ニヨリ昭和十六年悉ク清水会社ノ領有トナル時恰モ志那事変三年目加エ同年大東亜戦爭勃發シ時局用材ノ需要ハ日ニ急ナリ会社ハ敢然國策ノ順ヒ樫ヲ主材トスル三百余万石大宝庫ニ鍵ヲ入ル可ク尾股事業所ヲ創メ竹内氏ヲ其所長トス同十七年八月林道起工大戦下ヨク万難ヲ排シ同十九年一月竣工十六粁其他ノ事業着々進ミ同年五月村所校ノ分校ヲ開ク桃源ノ夢ハ已ニ醒メ開發ノ曙光ハ山谷ニ映ユ斯クテ山ノ大業ハ將ニ其緒ニ就ケリ仍而創業記念碑ヲ建テ以テ百世ニ語ラントス

 昭和十九年六月建之


 以下は村史より学校の沿革。刊行時は現行の学校であり、閉校の記載はない。

(小学校)
 昭和19.4.1  村所国民学校尾股分校として開校
 昭和36.4.1  独立。尾股小学校となる

 

 (閉校の記載なし。HEYANEKO氏調べでは昭和53年)

(中学校)
 昭和23.4  西米良中学校尾股分校設立認可
 昭和36.4  独立。尾股中学校となる

 

 (閉校の記載なし)

 


写真1 校舎

写真2 校門

写真3 学校のモニュメント

写真4 学校の遊具

写真5 家屋群

写真6 駐勤所

写真7 小さな社(以下赤い部分はフィルムの感光)

写真8 碑

写真9 炭焼き窯跡

写真10 集合住宅?

 

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