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◆熊の墓(くまのはか)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「別府」(昭和23.3)を使用したものである

所在:九重町野上(のがみ)(あるいは田野(たの)?)
地形図:湯平/別府
形態:谷沿いに家屋が集まる?
標高:約850〜900m?
訪問:2023年11月・同12月

 

 大字野上の南部、野上川(玖珠川支流)の上流部にある。

 資料『くじゅう総合学術調査報告書』によると、明治24年に認可・開設された大分牧場の一部が当地であったとのこと。経営は熊本県の佐藤氏によるもので、開拓地は吉部・熊の墓・泉水の3区。これら一帯の国有林1,500町歩を借り受け、最盛期には肉牛・乳牛500頭が飼育された。
 熊の墓には2棟の厩舎が設けられ、1棟あたり30〜50頭を収容し放牧が行われた。しかし牧場は明治36年7月頃解散。当地を含む大部分は大正8年九州水力電気(後の九州電力)が水源涵養と電柱材確保を目的として買収、のち同社の兄弟会社九州林産株式会社が継承し、水源涵養林となっている。当地にある九州林産の事務所は、当時の開拓地の一部であるとのこと。
 また文献『九重・由布の旅』によると、地内に木地師のものと思われる自然石の小さな墓が1基あるとのこと。また森の中の一角にケヤキやクリが茂った平坦地があり、「もりぐんじ」(※)の邸の跡という場所があり、これも木地師ではないかとしている。なお土地の人は「熊ん墓」と呼ぶという。
 
町誌によると
昭和47年度に7戸とあるが、九州林産の関係者の居住だろうか。なお1960年代・70年代の航空写真では、これらの居住地と思われる家屋が県道より北側に集まっている。

※ 別の執筆者の記述では「森軍治」の表記。人名

 訪問は、まず旧版地形図に記されている南側の建物跡を探索したが、それらしい痕跡や遺物はまったく見られず特定に至らず。道路沿いの土場(杉戸越土場)(写真3)にも訪れたが、特に何も見られなかった。
 続いて県道の北側では、九州林産の事業所や倉庫といった建物、祠、複数の屋敷跡が見られた。

 なお所属の大字については諸地図サイトに拠ったが、手持ちの道路地図では田野、町誌の「行政区別戸数」では野上地区ではなく田野が含まれる飯田地区となっている。

 翌月再訪。先の「木地師の墓」を探すため杉戸越土場の先や南東に通じる林道に足を延ばしたが、それらしいものは見られなかった。

 


写真1 バス停

写真2 地名表記付近

写真3 土場(杉戸越土場)


写真4 林道沿いの平坦地(写真2の上流に当たる)
※12月撮影


写真5 土場(熊の墓2号土場)
※12月撮影

写真6 建物。「九州林産株式會社寺床事業所」とある

写真7 祠

写真8 屋敷跡

写真9 屋敷跡

写真10 屋敷跡

写真11 円筒状の遺構

写真12 屋敷跡

写真13 ポンプ

 

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