◆龍ヶ岳開拓(りゅうがたけ―)(仮称)
所在:上天草市龍ヶ岳町大道(りゅうがたけまちおおどう)
地形図:高戸/教良木
形態:緩傾斜地に家屋が散在する
標高:?〜約450m
訪問:2024年5月
大字大道の北東部、龍ヶ岳頂上付近の北斜面にある。
龍ヶ岳を偶然訪れたことにより、この付近が無住となった戦後の開拓地であることが分かった。事前に存在を把握しておらず、家屋や農地の分布が分からなかったため1戸の管理家屋と墓地、そして「龍ヶ岳山頂開拓之碑」を確認したのみ。事後の確認により、現在の龍ヶ岳山頂自然公園付近から西側・北側の斜面にかけて農地が広がっていたことを確認した。
なお山頂付近にある寿ヶ岳神社(写真5)や龍ヶ岳山王社(写真6)は、開拓以前から祀られているもの。「寿ヶ嶽(じゅがたけ)」は、龍ヶ岳の以前の呼称。
以下は記念碑の碑文(■は当方による伏字)。
開拓団入植の地
終戦間もない昭和二十五年、国の基となる農業を営むため、この龍ヶ岳山頂一帯に六家族の方が新地を求め開拓団として入植された。
大木を伐り、原野を拓いて約十二ヘクタールの畑を開墾し、麦や甘藷等を作付して生計をたてられていたが、その後、昭和四十一年までに五家族の方が離植され、山崎■■氏の一家族が営農を続けられ今日に至っている。
又、この間、昭和五十年より、龍ヶ岳町による山頂の観光開発が進み、町民はもとより多くの人々に憩いの地として親しまれている。
ここに、移り行く、龍ヶ岳山頂の歴史を後世に伝えるとともに往時の御家族の御苦労を偲び記念碑を建立する。
平成六年三月吉日
なお入植者として、山崎氏のほか荒川・岩見・小松田・田中・村田の各氏の名が刻まれている。
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