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◆大平尾(おおひらお



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「加久藤」(昭和29.7)を使用したものである

在:錦町一武(いちぶ)
地形図:白髪岳/加久藤
形態:川沿いに家屋が集まる
標高:約750m
訪問:(2013年8月)・2014年8月

 

 大字一武の南部、川内(せんだい)川支流の又五郎(またごろう)谷沿いにある。
 車輛による訪問では、えびの側から鉄山(てつやま)川を遡るルート・錦町側から藤ノ尾谷を遡るルート・人吉側から小〓(こさで)(※)を遡るルートがあるよう。このうちえびのからのものは10km以上も手前にゲートがあり、また錦町からのものは林道の鋪装工事の途中であったため、2013年8月訪問時は到達叶わず。
 書籍『ここに学校があった』によると、当地は加久藤(かくとう)営林署の製品事業の拠点であり、その関係者と家族が暮らしていたという。昭和3年に「大平官行斫伐所」として発足。昭和21年製品事業所と改称され、この頃には80人ほどが事業に従事。事業所は昭和40年7月廃止。飯野小学校大平分校は昭和29年開校。飯野中学校大平分校は昭和30年開校。いずれも閉校は昭和40年。熊本県にありながら宮崎県の飯野町立という特殊な形態であった。
 以下は町史より、戸数と人口の変遷(抜萃。本文では昭和2年より同42年まで毎年。なお赤字は最多)。

  昭和3 昭和4 昭和10 昭和15 昭和20 昭和25 昭和28・29 昭和30 昭和35 昭和38 昭和39 昭和40 昭和41 昭和42
戸数 0 1 3 8 26 35 46 41 40 31 25 20 2 0
人口 0 1 5 16 70 116 153 145 161 123 107 78 5 0

※ 〓は糸へんに麗

 2014(平成26)年、改めて錦町側から再訪。現地には管理された簡素な建物(写真1)が1棟あるのみだが、周囲の山林にはかつての住宅の遺構が数多く確認できる。先の地図画像の集落の位置は誤りのようで、実際はさらに下流側にある(「國有」と「谷」の字の周辺)。なお推測ではあるが、学校跡は北側の支流に挟まれた緩やかな場所にあったと思われる。『ここに学校があった』に記されている「水道の井筒」(写真10)や「校舎の土台」(写真11)のようなものを確認。
 また集落から下流に向かって下って行くと、川内川本流との合流部までに2箇所(写真14および15以降)の何かの跡地が確認できるが、それぞれの用途は不明。上流側は水の便を利用した何かの施設か。

 


写真1 管理建物

写真2 遺構

写真3 住宅跡

写真4 同

写真5 同

写真6 水利設備

写真7 住宅跡

写真8 何かの跡

写真9 学校跡?

写真10 写真9にて。筒状の遺構

写真11 同。建物の基礎

写真12 同。水道?

写真13 何かの跡地(上流側)。下方には建造物の遺構

写真14 何かの跡地(下流側)

写真15 同

写真16 同

 

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