◆大平(おおひら)
所在:錦町一武(いちぶ)
大字一武の東部にある。球磨(くま)川の支流で、大平山付近を水源とする水無川(※1)の流域。 林業や製炭を生業とする集落であったが、その発端は明治期に森林資源が着目されたことによる。とりわけ鹿児島県出身の材木商・永田村右衛門(ながた・むらえもん)氏は大平山に着目した最も古い人物とされている。永田氏は明治13年人吉に来住。大平山国有林の払い下げを受け、昭和初期頃からモミ・ツガ・カシなどの伐採を開始した。
※1 上流部では大平川とも称される 現在は集落跡の一部がキャンプ場として開放され、大平渓谷の自然を楽しむことができる。第1サイトの近くには何かの社(写真2)が、第2サイトの近くには小さな石仏(写真4)が置かれている。第1・第2ともに屋敷跡と思われ、とりわけ後者には段々になったかつての農地と思われる土地が確認できる。「耳の神様」の案内に従い対岸に渡ると、1軒の廃屋(近くに「耳の神様」(写真9))と複数の屋敷跡、大平観音堂(写真11)、墓地(写真12)といった集落の名残が多く見られた。墓地では下野・堤・熊本といった姓を確認。町史を参考に上流部にも訪れてみたが、はっきりと確認できたものは「大山神」(写真15)のみ。これは社殿を持たず、山そのものを御神体としたものだろう。ここで引き返してしまったため、さらに上流にあった人家や製材所(地図画像右下の「製造所」の記号と思われる)は確認せず。なお観音堂は、太田茲法師が大正13年に制定した「相良四国八十八ヶ所」の54番札所。無住となった昭和の末期には倒潰寸前であったが、御船町の大師寺住職が旧地区民に浄財を喜捨したことにより再建されたとのこと。
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![]() 写真1 第1キャンプサイト |
![]() 写真2 社 |
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![]() 写真3 第2キャンプサイト。奥に段々 |
![]() 写真4 石仏 |
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![]() 写真5 大平の滝 |
![]() 写真6 農地跡 |
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![]() 写真7 用水路跡 |
![]() 写真8 廃屋 |
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![]() 写真9 何かの小祠(左)と「耳の神様」(右) |
![]() 写真10 屋敷跡の石垣 |
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![]() 写真11 観音堂 |
![]() 写真12 墓地 |
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![]() 写真13 集落内の道 |
![]() 写真14 道路沿いの何かの跡 |
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![]() 写真15 大山神 |