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◆産島(うぶしま)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「牛深」(昭和27.2)を使用したものである

所在:天草市河浦町宮野河内(かわうらまちみやのかわち)
地形図:宮野河内/牛深
形態:
標高:?
訪問:2024年5月

 

 宮野河内の上平(かみひら)港より、南東におよそ1.3qにある島。
 資料『シマダス』によると、昭和30年・同35年の国勢調査で人口3人を数えたが、同37年に無住となったとのこと。
 産島八幡宮では毎年10月に例祭が行われ、島の本宮と上平の仮宮(十五社宮)との間を神輿船と十数隻の供船が往復する(市指定無形民俗文化財)。
 かつては上平の農家が甘夏を栽培しておりその後手つかずとなっていたが、平成31年に天草下島の移住者らが農地を整備し、甘夏を出荷している。

 現在は島の北端(産島八幡宮付近)にキャンプ場が開設され、送迎の渡船を利用することで上陸が可能。
 上陸後は産島八幡宮付近を見たのち、頂上までと島の外周を右回り・左回りで往復した。
 まず船着場のある島の北端では、先述の産島八幡宮やキャンプ施設(バンガロー等)のほか、稲荷社・弁財天社といった祠、八幡宮境内の「安産の池」、「産島みかん団地造成記念」の碑が見られる。道路に従い少し登ると、「トンカン様」(※)が祀られた広い平坦部があり、例祭の神輿はここまで担ぎ上げられる。道路には軽自動車が停められているが、これは島内の管理や甘夏の収穫に用いられているものと思われる。
 島の頂上からやや西に下った場所には「愛宕様」と呼ばれる岩が祀られる。
 過去の航空写真で分かるように島内には広く農地が散在しており、現在も一部の畑で甘夏が自然のままに実をつけており、また道路沿いなどに農業小屋の廃屋がいくらか見られる。
 なお探索後にキャンプ場の管理に訪れていた方々にお会いしたが、話によるとかつての住居は島の中腹と南東部の谷沿いにあったとのこと。当初は神社付近と推測していたため、確認の機会を逃してしまった(ただし後者は写真38付近か)。

※ パンフレットによると、「峠の神様」の訛りとのこと

 


写真1 島遠景(上平港より望む)

写真2 船着場付近。左は神社、中央と右はバンガロー

写真3 産島八幡宮

写真4 境内の「安産の池」

写真5 稲荷社

写真6 弁財天社

写真7 「産島みかん団地造成記念」の碑

写真8 トンカン様。奥に小祠や石碑が見られる

写真9 小屋(以下船着場付近から頂上まで)

写真10 小屋

写真11 貯水設備

写真12 農地跡の石垣

写真13 小屋の跡

写真14 貯水設備

写真15 甘夏畑

写真16 農耕器具

写真17 農地跡の石垣

写真18 水田跡。平成26年の航空写真では、島内でこの一角だけ水を湛えているように見える

写真19 車輛

写真20 水利施設

写真21 甘夏畑跡

写真22 貯水設備

写真23 頂上に近い農地跡

写真24 頂上

写真25 頂上から長島(ながしま)方面を望む

写真26 愛宕様

写真27 写真26にて。「明治六癸酉年 六月吉日」「施工 上平村中」「南無阿弥陀佛」などとある

写真28 浜より水田跡を望む(以下船着場付近から右回り)

写真29 農耕車輛

写真30 谷と石垣

写真31 道

写真32 車輛

写真33 農地跡

写真34 収穫用モノレール

写真35 レール

写真36 農地跡

写真37 石垣

写真38 小屋の跡

写真39 農地跡

写真40 谷と石垣

写真41 浜より水田跡を望む

写真42 ビーチ側テントサイト予定地(整備中)

写真43 谷

写真44 農地跡入口

写真45 河口

写真46 水田跡の小屋

写真47 水田跡

写真48 水田跡

写真49 水田跡

 

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