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◆奥(おく)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「砥用」(昭和22.9)を使用したものである

在:八代市泉町仁田尾(いずみまちにたお)
地形図:葉木
/砥用
形態:山中に家屋が少数集まる
標高:約800m(下屋敷は約590m)
訪問:2014年8

 

 大字仁田尾の南部、小原川左岸側の山中にある
 登り口(下屋敷)付近にある「菅原・左座家」と記された説明板より、起源の概要は以下のようになる。

 延喜元(901)年、時の菅原道真は藤原氏により朝廷の右大臣の職から左遷され、筑国の大宰府の権帥となる。道真の死後、嫡子は藤原一族の追い討ちを避け、兄は「左座太郎」、弟は「菅次郎」と改名し、それぞれ仁田尾の「奥」(=当地)と矢部郷(※)に分かれて居住した(延長元〔923〕年)。のちに弟も近くの樅木(もみぎ)に招かれ、姓を左座に改めている。

※ 後の矢部町【現・山都町】か

 また宿の経営者は、この左座氏の末裔とのこと。話によると後に古屋敷に移住し、さらに宿の前にある古民家(写真5)に移住(およそ200年前)、そしてさらに現在の宿の場所に移って今に至っている。集落には左座家のほかに、分かるもので大関家?・奥川(おくかわ)家があり、奥川家も下屋敷から少し上流の一渡瀬で宿を営んでいる。無住となったのは40年くらい前か。田が作れないので米は作れず、焼畑でヒエ・アワ・ソバ・小豆などを栽培していた。のち林業が主流となる。

 宿の方に登り口まで案内していただき、荒れた山道を登ると集落跡に到着。現地では2、3箇所の屋敷跡と社殿(写真4)を確認。訪問後に再度宿を訪れ確認を取ると、この社殿は「天神様」とのこと。菅原道真由来の集落であることが垣間見える。なおさらに上方の墓があるとのことだが、これは確認せず。

 


写真1 屋敷跡

写真2 屋敷跡。右に浴槽

写真3 何かの台座

写真4 社殿

(写真5 保存されている左座家家屋)

 

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