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◆下草野(げぞの)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「砥用」(昭和22.9)を使用したものである

所在:美郷町下草野
地形図:甲佐/砥用
異読み:げぞうの?(旧版地形図)
形態:山中に家屋が集まる
標高:約350m
訪問:2024年5月

 

 大字下草野の北西部にある。椿(つばき)地区のさらに上流。
 
町誌によると、明治初年11戸61人。農業10戸、木挽職1戸。産物は、粟・裸麦・米・大豆・甘藷・茶など。昭和50年2戸4人。農業(兼業)2戸。転出先は椿3戸のほか甲佐など県内各地。
 十一面観音菩薩と清正公像を祀る観音堂や、天保2(1831)年の荒神様の石像がある。

 また砥用町史によると、昭和30年7月、中央村(当時)の一部(坂貫(さかぬき)・今(いま)・九尾(ここのお)・下草野)が砥用町に編入。これに伴い同年9月、当該地区の児童が砥用小学校へ編入した。
 その後下草野においては通学問題から中央村復帰の声が高まり、昭和32年7月1日中央村に再度編入されたとのこと。昭和32年4月、下草野の児童32名は中央南小学校へ編入した。

 現地には車道が通じ訪問は容易。まず集落の300mほど手前に小さな社があるが、先述の観音堂だろうか。集落内に残存する建物は多くはないが、墓地は非常に広く、多数の墓石が残る。その一角には地区の合祀墓があり(平成2年の日付。写真9)、建立者として集落関係者と思われる山本・谷田・谷田・森永・吉田・坂木・坂木・坂木・坂木・森永・坂木・坂木の各氏(計12名)の名が刻まれている。宅地跡の近くにも社があり、こちらは荒神様を祀ったものだろうか(写真8)。
 なお地形図には集落の北西に大型の建物が見られるが、これらは畜舎群の跡。

 


写真1 集落手前の社

写真2 廃屋

写真3 廃屋

写真4 小屋の跡

写真5 農地跡

写真6 屋敷跡の遺構

写真7 貯水設備

写真8 巨木と社


写真9 合祀墓。「下草野先祖之霊合祀 平成二年四月吉日建之」とある


写真10 墓地

写真11 墓地

写真12 農地跡

写真13 車道沿いの農地跡

写真14 畜舎

 

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