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◆丸田(まるだ?)



※ この地図は、内務省地理調査所発行の1/50,000地形図「背振山」(昭和21.10)を使用したものである

在:佐賀市三瀬村杠(みせむらゆずりは)
地形図:脊振山/脊振山
形態:川沿いに家屋が集まる
離村の背景:ダム建設
標高:約370m(水面は約370m)
訪問:2014年11

 

 大字杠の西部、嘉瀬(かせ)川右岸にある。現在は北山(ほくざん)ダムの人造湖(北山湖)に水没。
 村誌の北山ダムの節によると、ダムは昭和25年12月着工、同32年3月竣工。
 付近にあった養行寺(浄土真宗。山号は宝林山)由緒の説明板によると、「丸田」に武本・中田・杠が各2、内田・服巻・西村・桃崎・森田・安永が各1の計10戸。また「宇土」として小野・森谷・杠が各1の計3戸(※)。うち森谷家は養行寺。
 訪問時は水位が低く、いくらかの屋敷跡や農地跡が確認できた。安養寺は水没していないものの現在は移転。跡地は学校法人の研修所に利用されていたようだが、これも今はない。湖岸の藪の中では墓地を2箇所確認。それぞれ服巻氏・正嶋氏の名が見られた。

※ 説明板での合計は「丸田」「明神原」「宇土」を併せ25戸だが、村誌では「丸田明神原」の表記で26戸とある。少し下流にある龍護院(写真9)を含めた数字か。なお龍護院は曹洞宗、山号は功徳山。跡地の碑には「北山ダム建設ニテ檀家四散廃寺」とある。また敷地には福島家累代の墓があり、同家が代々住職を務めていたと思われる

 


写真1 屋敷跡

写真2 農地跡

写真3 屋敷跡

写真4 屋敷跡

写真5 屋敷跡の遺構

写真6 墓地

写真7 墓

写真8 養行寺跡

(写真9 龍護院跡)

 

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