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◆岩佐(いわさ)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「奈半利」(昭和28.10)を使用したものである

所在:室戸市佐喜浜町(さきはまちょう)
地形図:入木/奈半利
形態:稜線付近に家屋が集まる
離村の背景:関所の廃止
標高:約900m
訪問:2012年12月

 

 佐喜浜町の北部、室戸市佐喜浜町と北川村小島(こしま)との境界となる稜線付近にある。野根(のね)山から南東に5〜600mの付近で、かつての野根山街道の「岩佐関所」に伴う集落。街道は現在の「四国のみち」に当たる。
 以下は資料『東洋町資料集・第二集』より。

岩佐は関所役人やその家族が住んだ集落。同書で引用する「元禄地検帳」では15戸76人、「土佐州郡志」ではおよそ13戸、寛保3年の郷村調では15戸76人
関所の設置は江戸時代初期。ここで5人の番人が勤務を始めた。立川関所・名野川関所と並び土佐三大関所(番所)とされた。通行人の取り締まりを行うほか、御殿も併設されており参覲交代や幕府役人の接待・休憩・宿泊なども任務
関所の番頭・木下家は、もと豊臣秀吉の家臣。秀吉から木下姓を賜り代々番頭を務めてきた
明治3年岩佐関所廃止。住民は佐喜浜や野根に移住
明治5年氏神の日吉神社も野根の押野に移転。江戸時代には山王権現宮と称された(明治元年3月改称)
集落はずれにある「岩佐の清水」は、尾根伝いの野根山街道においては貴重な飲み水であった。佐喜浜川の源流でもある。土御門上皇が土佐国の配流となり岩佐を通った際にこの水で疲れを癒やし、「岩佐の清水」と名づけた。高知市筆山(ひつざん)の「桜井戸の清水」・土佐清水市渡場(わたしば)の清水と並んで土佐3名水とされ、現在でも土佐の名水40選に選ばれている

 訪問は南斜面を登る登り口より。林業で利用されているためか総じて道の状態は良好。途中で作業道(車道)と交叉するが、この直前のみ状態が悪い(なお北川村方面から林道を利用すれば、歩く距離はかなり短縮される)。
 現地は旧街道を歩く人々のためによく整備され、多くの説明板が往時を物語っている。番所役人の屋敷跡のうち川島家のものは明るく開けた平地となり、木下家のものは東屋が設けられ、それぞれ憩いのスペースとなっている。集落は東西に亘って細長く広がり、川島家より東側にも番所役人の屋敷跡が続いていたようだが、こちらは植林され跡形もない。

 


写真1 案内図


写真2 川島家屋敷跡

写真3 木下家屋敷跡

写真4 碑

写真5 関門

写真6 神社跡

写真7 神社手洗石

写真8 木下家墓地

写真9 集落内の道

写真10 岩佐の清水(涸れている)

 

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