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◆甲斐野(かいの)



※ この地図は、内務省地理調査所発行の1/50,000地形図「三島」(昭和22.2)を使用したものである

所在:四国中央市金砂町小川山(きんしゃちょうおがわやま)
地形図:伊予三島/伊予三島
異表記:甲斐野々(旧版地形図・市史)
形態:川沿いから山中にかけて家屋が散在する
標高:約250〜550m
訪問:2018年12月

 

 大字小川山の中部東寄りの山中にある。
 最近の地形図にも地名が記されているものの、中の川(銅山(どうざん)川支流)沿いのごく狭い地域(久保ヶ市(くぼがいち)小中学校跡地付近)を指しているような表現となっている。
 かつての住民によると、分かるもので22軒。4、50年くらい前から人口の減少が見られるようになったという。集落の範囲は、中の川支流沿いから南の山中にかけてと範囲は広い。

 まず川沿いでは、中の川に架かる「甲斐野宮(かいのみや)橋」(写真1)の名称の由来となった甲斐野神社(写真4)、その近くに久保ヶ市小中学校跡(写真5)が見られる。市史の写真より、旧校地に現存する建物は中学校の校舎であるよう。隣接していた小学校校舎は解体され今はない。林道引地線を進むと左岸に現在も管理されている家屋が1軒。実地では未確認だが、これらの間にもう1箇所の宅地もあるよう。山中では管理家屋・廃屋・屋敷跡などと、多数の宅地が見られた。周囲は段々になった農地跡。
 市史によると、当地にあった学校の主な沿革は以下のとおり。

(小学校)
 明治10.3  甲斐野々旧庵を借用し教授を開始。小学校の発端となる。対象地区は引地・甲斐野・久保ヶ市栗ヶ市
 明治12.12  校名を南育校と改称。久保ヶ市の長野家納屋を借用
 明治16.7  川口小学校第二分校となる
 明治19.3  川口尋常小学校第二分校となる
 明治20.4  小学簡易科久保ヶ市校となる
 明治20.10  久保ヶ市簡易小学校となる
 明治35.8  久保ヶ市尋常小学校となる
   (以降記録なし)

 昭和45

 中之川分校を統合(※)
 昭和46  閉校(※)

※ 年表欄外での補足事項

(中学校)
 昭和22.11  金砂中学校の分校として開校
 昭和24.3  新校舎落成
 昭和29.4  独立。久保ヶ市中学校となる
 昭和32.11  新校舎落成。移転
 昭和43.3  閉校

 


写真1 甲斐野宮橋(以下川沿い)

写真2 路傍の石仏

写真3 神社の狛犬

写真4 神社。拝殿(左奥)と本殿(右手前)

写真5 中学校校舎

写真6 写真5側面の出入口。「甲斐野集会所」とある

写真7 校地のシイの木。市指定天然記念物

写真8 林道引地線起点。右は旧校舎

写真9 農地跡。最上部は屋敷跡であるよう

写真10 管理家屋

写真11 甲斐野水位局(以下山中)

写真12 墓。写真11の近くにある

写真13 廃屋

写真14 屋敷跡

写真15 屋敷跡

写真16 管理家屋

写真17 電柱札。「甲斐野支線」と見える

写真18 屋敷跡

写真19 屋敷跡

写真20 墓

写真21 屋敷跡

写真22 何かの跡

写真23 屋敷跡

写真24 家屋

写真25 廃屋

 

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