◆楠ノ倉(くすのくら)
所在:三豊市詫間町志々島(たくまちょうししじま)字楠ノ倉
志々島の北部。本村(ほんむら)地区の北西で、水ノ浦の東にある。 明治初期、楠ノ倉の1人の漁師が舟に使うため楠の大枝を伐り落としたところ、重い熱病にかかってしまった。心配した家族が丸亀の祈祷師に拝んでもらったところ、祈祷師に憑依した大楠の主から「神に祀り、崇め奉れば許す」との声を受け、京都伏見の稲荷神社から御霊を授かりこれを祀った。これが今の大楠神社(楠公正一位稲荷大明神)である。 また利益院の墓地には「大楠重吉之碑」がある。氏は楠ノ倉在住で、明治23年9月の暴風雨の際に隣人の山地家を助けようとして犠牲となった。その義挙は人々の心を打ったという。碑は明治24年9月、妻の兄によって建立。 浜の近くには墓地があるとのこと(※)。 ※ 塩飽諸島の一部では、遺体を埋葬するための「埋め墓」と死者の霊を祀る「詣り墓」を別々の場所に設ける「両墓制」の墓が現存する。志々島では、埋め墓は家のミニチュアのような霊屋が置かれ、詣り墓は一般的な墓石が建てられている。当地にはこのうち埋め墓がある
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![]() 写真2 大楠神社 |