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◆兜島(かぶとじま)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「高松」(昭和22.3)を使用したものである

所在:高松市庵治町(あじちょう)
地形図:土庄/高松
形態:海沿いの一軒家
標高:数m
訪問:2019年12月

 

 庵治の鎌野(かまの)漁港より、東におよそ2qにある島。居住地区は島の東側の浜付近。
 町史によると、昭和30年近くまでは「東の浦」に居住があり、郵便船も時々廻っていたとのこと。1戸、時に2戸であった。代々奴賀家が暮らしていたが、同家は享保の頃に置かれた「お林守り」という役人の家筋。ほか戦中から戦後しばらくは採石のために人が出入りした。また昭和35年過ぎには、弁天さん(後述)の丘に俳優・森繁久彌氏の別宅が建設された。島の南東には弁財天が祀られ、夏の祭事には大勢がお参りしたという。また北の山の中腹には石を積んだ山の神様らしいものが祀られている。さらに「西の浦」にも不動尊が祀られている。島はもと国有であったものを、明治40年に庵治村(当時)が買い入れた。
 資料『シマダス』によると、昭和35年2人(国勢調査)。同43年まで人が暮らしていたとのこと。

 現地では屋敷跡1箇所と浜から続く農地跡、その奥に溜め池が見られた。最近の地形図では浜の南側に墓地の記号が見られるが、これは確認できず(※)。また島の鞍部と34mの標高点のあるピークにも訪れたが、特に何も見つからなかった。
 先述の弁財天や不動尊等は、資料の閲覧が訪問後であったため確認せず。

※ 町誌には、東の浦の北の隅に10基ほどの墓が並んでいることが記されている(刊行は昭和49年)。こちらでも墓地は確認していない

 


写真1 島全景


写真2 集落遠景


写真3 浜


写真4 浜からの眺め


写真5 石垣

写真6 屋敷跡の一部

写真7 水場?

写真8 井戸

写真9 農地跡

写真10 溜め池

写真11 島の鞍部

写真10 鎧島(小兜島)を望む(南西の小ピークより撮影)

 

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