◆杖立(つえたて)
※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「劍山」(昭和28.9)を使用したものである
所在:美馬市木屋平字杖立(字小日浦(こびうら)?)
地形図:阿波川井/剣山
形態:山中に家屋が集まる
標高:約700m 訪問:(2011年11月・2018年8月)・2018年12月
村の北東部、穴吹川右岸支流の上流にある。
村史によると、無住になったのは昭和30年。明治年代には6戸あったという。集落には聖権現があったが、のち麓の小日浦の人々が祭ることとなる。集落の祖は崩峯(つえむね)家(※)といわれ、同家は麻衣(あさぎぬ:集落名)の極楽寺檀家の最上席の位があったという。
小日浦の方の話では、覚えているもので2軒。1軒は昭和入ってから転出。もう1軒は村史の記述と異なり昭和42年に転出したとのこと。炭焼き・林業のほか、商品作物として蒟蒻芋を栽培して暮らしていた。蒟蒻芋は竹屋敷(たけやしき)にあった農協に出荷していたという。ほか自給用の芋や麦も栽培。道は今丸(いままる)からも通じているが、生活道路としては小日浦経由の道を使っていた。姓は尾脇(おわき)など。
話を伺う前に踏み跡を2箇所ほどたどってみたが、いずれも集落方面には向かっていなかった。話によると道も集落跡の植林地も非常に荒れているとのことで、訪問を諦めた。
※ 読みは地元の方の話で確認。小日浦にも崩峯家があったが(杖立から転入したもの?)、現在は転出
2018年夏、改めて小日浦より訪問を試みたが、道らしいものが荒廃していたことや進行方向に確信が持てなくなったことにより、到達は叶わず。
同年冬、神山町より林道今丸線に入り越境、東宮山の北西から西に曲がって延びる尾根を伝って訪問。所々で消えかけた道に合流するが、現地まで直接通じるものではない。
現地は植林地で、屋敷跡1箇所と農地跡を確認。植林は思いのほか手入れがされているが、徒歩道がどこから通じているかは不明。
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