◆開拓(かいたく)
所在:つるぎ町一宇字剪宇(きりう/キリュー)
地形図:阿波古見/剣山
形態:山中に家屋が集まる
標高:約700m?
訪問:2011年11月
村の東部、剪宇谷(きりうたに)川流域にある。
村史では「剪宇の奥地」「蔭」「実平」(※)の3箇所をまとめて紹介しているが、ここでは「剪宇の奥地」の集落について触れる。
同書によると、太平洋戦争後の食糧難のため、農地を持たない次男・三男、疎開者や引揚者が入植したという。剪宇の奥が選定されたのは、江戸時代から明治にかけて2、3戸が生活していたという過去があったため。
初期は焼畑でソバや小豆などを収穫。ほか大根・白菜・葱なども栽培した。のち段々畑を作り、コンニャクを商品作物として栽培し、他にもソバ・小豆・大豆・甘藷・トウモロコシ・野菜などを作った。
昭和27年、従来の「山の神」を勧請し、「開拓神社」として創建。
記載されている家は以下のとおり(「―」は記載なし)。
番号 |
姓 |
1 |
― |
2 |
― |
3 |
― |
4 |
切中 |
5 |
― |
6 |
切中 |
7 |
小倉 |
8 |
〃 |
9 |
市原 |
※ 「蔭」「実平」の詳細な位置は不明だが、一宇集落対岸の山中か
昭和45年8戸(国勢調査)。
現地では林道沿いに家屋が1軒見られたほか、この背後の山林で屋敷跡と農地跡、付近には開拓神社と思われる場所(写真4)が見られた。
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