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◆豊益(とよます)
所在:阿南市豊益町(とよますちょう)
派川那賀川の河口付近右岸にある。現在の王子製紙富岡工場の敷地内。 市史によると、当地は江戸末期に西路見(さいろみ)村から分村して成立した新田である「豊益新田」。宝暦5(1755)年那賀郡刈屋村(現在の那賀川町刈屋)の庄屋・八郎兵衛が、藩より新田開発の許可を受けたが、資金難で着手できず。翌年家老の賀島上総(8代)の指示によって、柳島村の豪農・3代伊勢権左衛門に名負いの切り替えがされて新田開発が再許可された。権左衛門は、宝暦6(1756)年より福村の東浜より新田開発に着手し同7年に完成したが、東・北の堤防が同年7月の暴風雨で決壊し、新田と塩浜が流失した。その後再び堤を築き、松を植え、田地と松林を完成させた。 「角川」によると、豊益町は近世の豊益新田村(那賀郡のうち)。「豊増新田」とも。明治22年富岡村の大字豊益となる(のち富岡町→阿南市)。明治9年9戸46人。明治24年の「徴発物一覧」には「豊益新田」と見え戸数11、人口53。大正14年15世帯107人。昭和33年土地が買収され、同34年字吉田にて神崎製紙富岡工場が操業開始。 先述のとおり現在は工場の敷地内であるため、辰巳や淡島神社から集落があった方向を望んだのみ。工場周辺でも、集落を物語るものは見られなかった。
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![]() 写真2 淡島神社より集落方向を望む(撮影場所から150mほど先が南端) |